自分でも信じられないことなのですが;;
昨年京都でお気に入りの帽子を落とし、
今回松山からの帰りに、絶対落とさないぞ!
と気をつけていた、買ったばかりの帽子が、
いつの間にかないのです。ないな~い、ないな~い。
帰りの新幹線の中で確認したところまでは覚えているのですが。
ま、また落としたの!と 我ながら信じられない気持ち;;
この帽子 布製でしぶい赤が入っている、どこかの地方の織物でできています。
ここ数年、お気に入りの物に限って壊れたりするのです。
100円ショップで買った、さほど愛着のないものはいつまでも残っています。
さすがにこれは見過ごせない感じです。
子どもの頃に誤解したり、感情をブロックしてしまったことは
そこにどんな誤解があったか等に気づくまで人生に再創造されます。
もうこれを再創造するのは嫌だな~
この帽子を落としてしまった感覚に深く入っていくと、
自分の大事なものを失う感覚に。
息子、大好きだった叔母さん達、
もっと遡ると、、
下の弟が生まれた時にたどり着きました。
弟が生まれるのに合わせて増築されたのかどうかは?ですが、
家の前面に部屋が増築され、その2階に母と弟がいます。
そして、ちょっと急な階段がその2階に行くにはありました。
今にして思えば、そこに太い境界線ができた感じです。
その時の感覚が蘇って来ました。
大事なものが去っていく感覚は、
息子の死に関して随分感じてみたような気がするのですが。
今の私の視点で見てみると、
決して手の届かないところに行ってしまった訳ではないのです。
息子にしてみてもそうです。
肉体は持っていないけれど、どこかに消えてしまった訳ではない。
幼い私は、母はもう手の届かないところに行ってしまった感覚に陥ってしまったのでした。
その頃のことは記憶にないのですが、
最近叔母に聞いてみたところ、
弟はとにかく母にべったりだったのだそうです。
私には全く記憶がありませんが、
それは幼い私には、もしかしたら耐えられなかったのかも知れません。
そして、それだけ母のことを求めていたのだなぁと、
今は思います(笑)
その当時の私には、自分から母のところに行ったとしても、
ほぼ相手にしてもらえないという現実があり、
そこで作ってしまった信念体系は、
自分から求めても、きっと受け入れてもらえないだろう、ということ。
それがあったから、傷つきたくなくて自分から遠ざかったのだなぁ。
その場面での感情、信念体系、手が届かない感じ、
などを大人の視点でみてみました。
息子の死も含め、何かここに私の人生の大きなテーマがあるような気がしてなりません。何か深い霊的レベルのテーマ。
ここはもう少しじっくりと自分を見てみることにします。
帽子を落とす、という一見ささいなことも
繰り返し同じパターンが人生に現れる場合は、
そこに何らかのメッセージがあるのです。
そこから新しい人生へとシフトしていく。
とりあえず、帽子は失くしても惜しくないものにします(笑)
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ろっこの「life Lesson」
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自分癒しに大切なことをひとつひとつ練習してみます。
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