愛ある勇敢な方たちへ

 

「罪悪感」って感じることありますか?

 

わたしたちは生活していく中で

自分のせいで相手を傷つけてしまった

自分のせいで迷惑をかけてしまった

と感じることがあります。

 

あぁ、自分のせいで

こんなことになってしまった…

悪気はなかったのに

意図せず相手を傷つけてしまった…

 

相手を傷つけたり

迷惑をかけたことについて責任を感じ

無意識のうちに自分で自分を罰してしまう。

 

自らの心をいわば

「不幸の牢獄」に閉じ込めてしまい

自分なんか幸せになってはいけない、という

無意識の決意のようなものが生まれ

その結果自分のための人生を生きることにブレーキをかけ

断続的に自分をくるしめることになります。

 

特に「愛する対象を自らの手で傷つけた」体験による苦悩は計り知れません。

 

 

個人的な話ですが

わたしは1年半前に離婚を経験しました

 

それにより大切な子どもたちと離れ離れに生活することとなり

小さな子の心を傷つけることになりました。

 

時々会うことができたときも、パパと離れるときは大泣きしたり

 

七夕のときに

「早くまた4人いっしょに住めますように」

と願いごとを書いているのを見たりすると

 

あぁ、子どもたちになんて酷いことをしてしまったんだろう…

これからでも、4人でやり直した方がよいのだろうか…

パパも君たちのことは大好きなんだよ。本当にごめんね…

と涙があふれると同時に

 

深い罪悪感に苛まれます

(子どもたちとの関係性は最善の形になるようにと、今も模索中です)

 

 

別の話で、次のようなことを聞いたことがあります。

 

日本でキリスト教が禁止されていた頃。

キリストが描かれた絵を足で踏むことによって、

信者ではないことを証明することになっていました(踏み絵)。

 

隠れてキリスト教を信仰していた人々は

政府にそのことをみつかってしまいます。

 

ただし、踏み絵をすれば処刑はまぬがれる。

 

ある人は、あぁ、命が助かるためならやむを得ない…と、

ある人は、いや、命に代えてもそんなことはできない…と。

 

踏み絵をした人の命は助かりましたが、

それを拒んだ人は処刑されてしまいます。

 

しかも、あろうことか、

踏み絵をして処刑をまぬがれた人を、

処刑する役にしていたことがあったそうです。

 

この時の、処刑する人の罪悪感は、いかほどのものだったでしょう。

 

あぁ、わたしは自分の命が助かるために踏み絵をしてしまった…。

しかも、共に毎日祈り励まし合った大切な仲間(場合によっては肉親)を、自らの手で処刑しなければならない…。

 

これは想像を絶するような苦悩であり

その体験はその後の人生に大きな影響を及ぼしたはずです。

 

このように罪悪感は

ときに互いに大切に思いあっている相手を自らの手で傷つけ

それによって自分の心も傷ついたうえ

自分で自分を不幸の牢獄に閉じ込めるわけですから

 

もう、これは本当に精神的ダメージが大きいです。

 

現代においても

「無期懲役」の判決をみずから下し

この牢獄に入り続けている方が

少なからずいらっしゃるような気がします。

 

人はこの罪悪感を

どのようにして乗り越えていけばよいのでしょう?

 

********************

一つ目にお伝えしたいのは

罪悪感を感じているあなたは

「大きなやさしさと愛をもっている」ということ。

 

やさしさや愛を持っていないと

罪悪感を感じることができません。

(罪悪感を感じない方がやさしさや愛を持っていないというわけではありません)

 

つまり、あなたがくるしんでいる罪悪感が深く大きいほどに

やさしさや愛にあふれた人生を生きることができる可能性を秘めている、

ということです。

 

人に気を配ることができ、思いやりのある、素晴らしい方ですよ、という証明です。

 

あなたの過去には一見ネガティブに思える出来事がありましたが

その経験によって、あなたは人間の感情の深い一面を体験することができ

自分の内面を発見することができた。

 

そのような視点でとらえると

罪悪感を感じることになった体験も

それがあったおかげで今がある、

とプラスの出来事に転じることがいつかできるはずです。

 

 

二つ目にお伝えしたいのは

あなたは「あの時の自分なりに最善を尽くした」ということ。

 

あなたはあの時、自分なりのベストを尽くしていたのではないでしょうか?

 

たしかに、

もっとあぁしておけばこんなことにはならなかったのに、

と思いますよね。

周りの人から実際にその事を責められることもあったかもしれません。

 

でも、その時にあなたなりのベストを尽くしたのであれば、それは仕方なかったこと。

 

最善を尽くした人を責めたり

心の牢獄に閉じ込めたりするのは

「お門違い(おかどちがい)」ではないでしょうか。

 

9回のウラ2アウトで、外野にフライがとび

みんなが、勝ったと確信しているとき。

ボールを落としサヨナラ負けしてしまったら

その人は周囲から責められるかもしれません。

 

でも、本当にその人が悪いのでしょうか?

 

彼は最善を尽くしたけど

元々フライのキャッチが苦手だったり、プレッシャーだったり

太陽の光がまぶしかったり、風が吹いていたり

様々な理由によりボールを落としてしまった。

 

それが、勝敗の決まる

しかも勝つ可能性が高いようにみえる局面で出てしまっただけのこと。

 

一生懸命やったけど

いろんな原因があって

ネガティブな現象として結果に表れた。

 

それは別になぐさめとかではなく

客観的に見てそうだと考えています。

 

そのことをわかる人は

ちゃんとわかってくれています。

 

そして、本人がいちばんつらいはずですから。

ベストを尽くして非難を受けている人を牢獄に入れるなんて

ひどすぎるでしょう。

 

その時は罪悪感に苛まれたとしても

いつか最善を尽くした自分を認めてあげることが大切です。

 

 

三つ目に

あなたはもしかすると

そのやさしさゆえに自分よりも他の人を

優先して生きてきたのかもしれません。

 

人にはそれぞれの価値観があります。

 

自分の大切なものよりも

他の人の大切なものを満たすことに力を入れてきために

 

相手の期待に沿うことがまるで

自分の価値観を満たすことのように

錯覚、習慣化してしまい

相手の期待に沿えなかったとき、

罪悪感を感じることがあります。

 

その場合

自分の隠された価値観は満たされないため

知らないうちに不満が積もっています。

 

自分がやりたいことや大切にしていることを

まず自分で認識する。

そして相手にも伝える。

そのうえで、相手の価値観も尊重する。

 

それが人間関係がうまくいくコツかもしれません。

 

ぜひ、自分が大切にしているものを明確にし

自分にいちばんのやさしさを注いであげてください。

 

 

 

ここに挙げたようなことは

 

いやいや、そんなの現実的にムリだよ…

そんなのキレイごとを言われても…

 

と思うかもしれません。

 

つらい渦中にいると、ほぼ間違いなくそうです。

わたしも、文章化することで

自分に言い聞かせている面があります。

 

でも、物事の視点や解釈を変えることによってはじめて、

トンネルの出口が見えるのだとも思います。

 

早く自分に「無罪判決」を言い渡し

牢獄からいっしょに出所しましょう。

 

無実なのに牢獄に入ってたんだから

もしかすると損害賠償とかもらえるかもしれません(笑)。

 

 

大丈夫、あなたはちゃんと乗り越えていける!

雨の後に掛かった虹の向こうには、自由に輝いて生きるあなたがいます!

 

あなたが自分らしく幸せでいることを願っています。