こちらの記事からのつづき♡


もう、ほんとにね。
こどもはおかあさんが
大好きなんだと思います。

たくさん愛情を注がれ
愛されようが、
どんなに虐げられ
傷つけられようが、

たとえそれが
どんな母親でも、 

無条件におかあさんが大好き。
いくつになっても
やっぱり、大好き。

おかあさんに愛されたい
おかあさんに抱きしめられたい
おかあさんに喜んでほしい
おかあさんに認めてほしい

みーんな、かならず
そう思っている。

そしてそれは、もう
食欲とか性欲とかと同じ
生理的な欲求で、
頭ではどうにもならないもの
なんだそうです。

だから母と子とは、
肌と肌とで触れ合うことや
目と目で見つめ合うことや
会話すること、、
ともに過ごし、
ともにある時間で、

とことん、
そこを満たして、
心の基盤を作る必要がある。

わたしは、赤ちゃんの頃
母が側にいなくて
やっぱりさびしかった。

娘の断乳時期がはやくて、
娘がわたしに対して、
十分なスキンシップが
とれなかったと感じていたように、

わたしも、もっと
母と一緒にいたかったんだと思う。

でも、おかあさんが大好きだから
いつもがんばって働く
おかあさんを応援していた。
自分の仕事が大好きな
おかあさんを応援していた。

だから、さびしいなんて
言ったらいけないと思っていた。

でも、さびしかった。

そのことにわたしが
はじめて気づいたのは、
長男を育てはじめた
かれこれ7年以上前のことでした。

そしてそこから、今までずっと、
自分といっぱい向き合ってきて
その傷は乗り越えてきたと
わたしは思っていました。

でも、わたしは、やっぱり
そのことを本当には、
受けとめられていなかったし、
癒せていなかったことが、
今回の娘とのやりとりで
わかったんです。

なぜなら、わたしは母に
わかってほしいと
今だに思っていたから。

わたしがさびしかったことを
受けとめてほしいと
まだ、思っていたから。

さびしい思いをさせて
ごめんねって、

ウソでもいいから
言ってほしかったなあって、
思っていた。


………

かつてわたしは母に、
思い切って、
でもさりげなく(笑)
聞いたことがあります。

「おかあさん、どうして
わたしのことおばあちゃんに
預けて働いてたのー?
なんでおっぱいで育てようと
思わなかったのー?」って。

そのときの母の答えは、

「だって、おかあさん
おっぱい出なかったんだもん。
それにおかあさんは、
仕事がしたかったの。
先生はやめたくなかったのよ~」

でした。

「そう。。。でもわたしだったら、
あきらめないのになあ、おっぱい。。」

と言うと、

「もーっ、ひどいわねーー!
そういうこと言わないでよぉ~
おかあさんはあんたみたいに
がんばれなかったの!」

と、逆切れられました(笑)。

。。。


そうなんですよね。。

悪気とかは何にもなく、
母は、そういう人なんです。

それが、わたしの母なんです。

母は不器用で、
そこで素直に謝ったり、
抱きしめたりなんて、
できないんです。

それなのにわたしは、
母にわかってほしいと
思っていたわけです。

人はそれぞれ違うんだし、
わたしの理想のカタチでは、
わかってもらえるわけないのに。

なのに、当時のわたしは
そのことがわからずに、
わかってもらおうとするのが
悪いんだと思うようになりました。

さびしいと思うのが悪いんだと。


でも、違いました。

さびしいものは、
どうしたって
さびしいんです!

母子の信頼関係が
入りきらなかった事実は
どうしたってあるんです!

消えないんです。

だからそのことを
母に、ではなく、
ほかの誰でもない
わたし自身がうけとめて、

さびしかった自分を
まるごと受けとめてやって、
愛してやるしか、ない。

たとえ母に、
それは求められなくても。

さびしさは、、

消さなくていいんだ。

消えなくていいんだ。

なぜならそれが、人間だから。

人間は、完璧じゃない。

さびしいことも、
つらいことも、
泣きたいことも、
あっていい。

だからこそ、
生まれてきて、
だからこそ、
いまこうして、
泣き笑いしながら、
生きているんだ。

だからこそ、人生なんだ。

ひとはときに、
自分が求めるかたちでないと
何も得られなかったと、
勘違いしてしまうことがある。

だけど、ひとはみんな違うから。

相手を許そうとして、
相容れないものを
よしとしなくていいし、
相手にもそれを
求める必要はないんだよね。

わたしは
わたしが
癒してやればいい。

必要なら一生
その痛みと
付き合ってあげればいい。

そうすれば
わたしは
もう自由なんだ。

そのことが、
うわ~って
魂から、
湧きあがってくるのを感じて、

わたしは、涙しました。

やっとそこを
本当の意味で、
体感することができたと
思いました。

母には母の、精一杯があった。

母なりの愛し方があった。

わたしにはわたしの
精一杯があって、

愛し方がある。

それでもわが子に、
さびしい思いを
させてしまうこともある。

万全を期することなんて、
できないんだ。

そんなものないし、
目指さなくていいんだ。

そんなものに
縛られなくていいんだ。

わたしたちはただ、
自分のまんなかに、
嘘偽りない生き方をする
それしかできないんだ。

それだけが、わたしたちにできる
唯一の精一杯なんだって。

そしてそれには、
いい悪いはないんだって。

やっと、わかったんです。

………

、、というわけで。

娘の歯科健診から、
今回はここまで、
旅して来ちゃいました(笑)。

いや~、よかった、よかった♡

最後まで読んでいただいたみなさま 
長文にお付き合いいただいて、、

ありがとうございました!!

そしていつも導いてくれる
こどもたち、ありがとう~!!

愛を込めて♡

コヤマナオコ