人間の体は半分以上がでできていて(新生児約80%、成人約60%)、
 

を摂取しないと日間程 を摂取できないと

生命に危険が及ぶ、と言われてます

飲み水、料理の水、お風呂、トイレ(水洗式)、掃除、防災用の水など
健康な暮らしに欠かせませんねカギ

2018年2月22日~3月1日 南フランスを旅しました地球
ニース、モナコ、プロヴァンス、アビニヨン、アルル、カルカソンヌ

 

南フランス、プロヴァンス地方のガール(Gard)県(ニームが県庁所在地)の
ガ―ル川(Gard)(ガルドン川: Gardon)に架かる
ポンデュガール Pont du Gard (ポンは橋 : ガール川の橋)は
2000年以上前古代ローマ人によって建設された水道橋

 

 

ガ―ル川ローヌ川(スイス、フランスから地中海に注ぐ川)に流れ込む

支流のひとつ(セヴェンヌ山脈に源)

 



南仏ニーム(古代ローマ帝国の主要都市)の人口が増え水が不足し、
50㎞離れた山間部のユゼフに理想的な水源)を見つけ出しましたダイヤモンド

* 川の水を直接使わなかったのは
川の水が伝染病の源になることを既に知識として知っていたから

 


ローマ人の都市建設で水利に比重が置かれていたのは、

をふんだんに使うことが贅沢であり美徳とされていたからとか乙女のトキメキ

水源ニームまで50㎞の水路が必要となりましたが、
両地点の高低差わずか17m!!
水路に水を流すには傾斜が必要ですが、
1kmあたり平均25cmという微妙な勾配で

水が流れるよう設計しなければならず
しかも川幅の広いガール川を渡らなければならず
山からの導水路ですから、全体の高さも必要でしたグー


造られた橋は三層アーチ3階建て 

50m弱(世界一の古代橋) 長さ300m弱
1階は6アーチで通路としての橋、2階は11アーチがあり、

3階には35アーチ(当初47アーチ)で 3階が水道管となってます

 

 

巨大な橋はどうやって造ったのか?

石(おおきな石は6トンほど)は同じ大きさの石材を大量に造り
600m離れた石切り場から運び、

セメントなど使わずくさび状に一気に積み上げたと考えられ

(12階建ビルに匹敵する高さ)


プレハブ工法の先駆けとも言われています
 

その大規模な橋の建築も、
1000人ほどの人で、わずか5年で完成したとか!


古代ローマ人は高い土木建築技術を持ってたんですね!!

 

 



ポンデュガールはローマ帝国崩壊とともに、

次第に使われなくなってしまったのですが(メンテナンスにコストがかかる)、
600年以上に渡ってが運ばれ続けたそうです拍手

(橋脚は水圧を分散させる仕掛あり災害もくぐり抜け)




橋は1985年世界遺産に登録され、
2010年には、橋を取り巻く自然景観は
フランスの「偉大なる景勝地のラベル」を授かりましたまじかるクラウン

 


橋の周りは公園になっていてハイキングや川遊びも楽しめます
夏にはビーチになり
川辺はガリック(地中海気候で、石灰を多く含んだ荒れ地に育つ草木)

 


 

 

芳香樹木やとオリーブの木が生えていますやしの木

 

 

 

樹齢1000年と言われるオリーブ


ギザギザ ギザギザ ギザギザ

水道のルーツは古代地中海沿岸諸国とされ
当初は井戸の水を遠くに運ぶための水路と考えられ
古代ローマ人は「ローマ水道」と呼ばれる巨大なネットワークを構築しましたが
ローマ帝国の衰退とともに衰微…

 



水道の近代化は

18世紀頃、パリで蒸気式揚水用ポンプが使われ、
19世紀以降、ロンドンでの浄水設備の設置
鉄製パイプによる水道管の開発などでヨーロッパで急速に発達したとのこと

 

現在フランス水道浄水技術の進歩により、
様々な地域の上流の水で構成されているようです




日本では、16世紀半ば、
後北条氏3代当主・北条氏康の頃、
早川(神奈川県)から水を引き、

小田原城下に飲用として供した「小田原早川上水」が最古の水道と考えられていて

その後、江戸でも17世紀頃、徳川家康が江戸の都市建設のため
井之頭池から引いた神田上水、玉川上水、千川上水などを町に引き、

後に青山・亀有(本所)・三田の3つを加えて「六上水」と称しました

当時世界でもっとも進んだ設備を有していたようですよニコ

水のインフラ国や町の暮らしの豊かさ

 

に感謝ですねお願いブルーハーツ

 

 

 

イルカ  イルカ  イルカ