ちょっと間が空いてしまった…すみません。
え~と、電車で連れて帰ってきた男性がくっついてました、の続きですね。
彼から、ちょっと寂しい感覚を受け取ったのですが
話相手とかがいなくて、周囲に人がいなくて寂しい、という寂しさではなかったのです。
自分のことを理解してもらっていないと感じている寂しさ。
う~ん…私にも、そういう感覚あったのかな?どうも自覚がありません。
自分のことって、霞がかかったように見えにくいものです。
わかっている「つもり」の自己分析が多い。
よ~く自己対話してみて、ちょっと思い出したことがありました。
夫と会話してたとき、私は普通に会話のキャッチボールをしていたつもりだったのですが
突然、「真面目に答えるなよ~冗談だよ~」とゲラゲラ笑われてしまったことがありました。
こういうことは、細かいニュアンスの冗談がわからない私には、(バカ正直に真に受ける)たまにあることなので
普段は、何だぁ~とぶつぶつ言って終わりなのですが
実はそういう時の私って、心の底では
「私ひとり、取り残されてる?」 「私だけ、理解できていない」
…と不安がっていたということに、気が付いたのです。
今まで全然自覚なかったけど、何となく頭の片隅で「もやっ」としている感覚はあった。
その、見過ごしそうな、見過ごしていた「もやっ」感の正体は、そんな不安感だったのです。
さらに、子供の頃のことを思い出しました。
ヤマハ音楽教室に途中から入会した私。3歳頃。
周囲の子どもたちは先生の指示に付いて行っているのに、自分だけわからない。
先生が何を伝えようとしているのか、次に何をしなくてはいけないのか、さっぱりわからない。
その時の、浦島太郎なとまどいと不安な気分の私の感情が、よみがえってきた。
私の感情の土台、潜在意識にそんな感情があって
今の自分に影響を与えていたんですね。
「自分だけ」「理解してない」「疎外感」…の経験がいくつかあって
それが「寂しさ」の原因だったのですね。
で、「自分のことを理解してもらっていないと感じている、寂しい人」がくっついちゃったみたいです。
で、後日…
自分のそんな感情に気が付いたら、同じような出来事があっても「もやっと」感がなくなってしまった。
「もやっと」感は私の潜在意識からの、私へのメッセージだったんですね~
受け止めたから、理解したからスッキリして、不安感を感じなくなった。
周囲に、自分のことを理解してもらえていない…と寂しく感じている時…
本当は、自分で自分のことを理解できていない寂しさを、感じているのかもしれませんね。
おまけ。
次男に、ネックカバーをかけられ微動だにしない迷惑そうな猫の図…
彼の「察してくれよ…」と全身から醸し出す感情が、憑依する人々に通じる…ワケないか(・∀・)