翌日、私は連絡帳にこう書いて出しました。
『昨日の連絡帳を確認して驚き、ショックを受けてしまいました。
どうして平気で無視ができるのでしょうか?
昨年度も管理職といい、担任といい、
学校の先生はみんなそうなのでしょうか?
こちらは、子どもがどのような思いでいるのか、
つらかった出来事を知っておいていただきたくて、
聞いていただきたくて書いているのに•••。
どうして教師はそろいもそろって、相手の立場になって
物事を考えることができないのでしょうか?
子ども達には相手の立場になって考えるよう
指導しておきながら•••。
学校の先生は、会話のキャッチボールができない方が
多いように感じています。
ご自分にとって都合のいい話、さしつかえのないこと、つまり
とりやすいボールはとっても、都合の悪いこと、とりにくい
ボールはとろうとする努力もせず、
逃げて歩いているように思います。
つらかった話をすること自体、心身共にエネルギーを使います。
それなのに、こちらがいくら一生懸命話したところで、
聞き流されて終わりだということが目に見えているので、
もう話したくありません。
サインすらなく、あまりにも失礼です!!
以前も何度か同じような指摘をしているのに、
全くわかっておられないのですね。
「そうだったのですね。」とか「つらい思いをされてきたのですね。」
など、気持ちに寄り添うこともできたはずです。
教師は皆「子どもの気持ちに寄り添う」のではなく、
「教師の気持ちに寄り添っている」ようにしか見えません。』
すると、担任からこう返事がありました。
『昨日は、お母さんの気持ちを理解できず失礼いたしました。
○○くんのがんばりや成長を共有し、共に喜び合えるよう努め、
お母さんと力を合わせたいことにかわりはありません。
今後ともどうぞよろしくお願いします。』と•••。
あまりも失礼で非常識なことをして、人を傷つけておきながら、
『お母さんの気持ちを理解できず、失礼しました。』と
軽く流してしまっているのです。
気持ちを理解する以前の問題だと思うのですが•••。
それに、『がんばりや成長』を共有すること以上に、
『つらかったこと』を共有することが、
子どもと関わっていく上で、必要ではないでしょうか?
前回も、今回も、管理職は連絡帳を読んでいます。
でも、いつもそうなのですが、管理職がおかしいことがおかしいと
わからないため、判断も出来なければ、指示も出せず、
動かないで放り出してしまうのです。
この日を境に、連絡帳を出すのをやめました。
あれから8ヶ月近く経った今も、連絡帳を出していません•••。