3学期。
親子ともども、もう限界でした。
(とっくに、限界だったはず…)
小児心療科の先生のアドバイスで、
水曜日に中休みを設けて 他の平日は、昼からでも良いし少しでも行ける方がいいから
負担を軽くしてみよう
というアドバイスを受けたことを
担任の先生にお話して、その通りに登校するようにしました
給食が始まる1時間前に学校に到着するような形で ゆっくり歩きながら登校、付き添い授業をして、給食でお別れするという作戦にしました。
給食は、交流学級で食べるので
支援学級、又は交流学級のお友達が一緒にクラスまで連れて行ってくれるか 支援学級の担任の先生が連れて行ってくれました。
最初は、それで何とかなるのかなーと思ってました。
ところが、イチは
みんなの協力が、母親と離される という気持ちがもっと大きくなったみたいです
お別れの時に、まるでイヤイヤ期のように
ひっくり返り、地団駄を踏み…泣き叫ぶのです。
隣の校舎にいても、イチの泣き叫ぶ声が響き渡ります。
『ママー ママー 行かないでー』
『ママが行っちゃったよぉー』
その泣き叫ぶ声と抵抗する様子を毎日見続けるのは、本当に辛かったです。
そして、その時間がやってくる度に
『あの子、なんで泣いてるの?』
『どうしたの?』
と子ども達の声が耳に入ります
これで本当に大丈夫なんだろうか…
イチだって本当はあんな泣き方して恥ずかしいはず。あれだけ必死に抵抗しているのに、黙って笑顔で見送ってていいんだろうか…
毎日、泣き叫ぶ声をイチがいない場所からクラスを見ながら考えていました
支援学級の担任の先生に不信感がどんどん募っていった時期でもありました
私の、心の限界というか…先生に対しての苛立ちが大きくなったのです。
(つい最近まで、思い出すと苛立ちしかありませんでした。
でも、このブログ投稿を始めて先生もどうにかしたいと焦っていた事を理解できるようになりました。
先生なりにイチの事を考えて行動されたんだと思います。
先生と私のバトル(笑)があり、自分の意思を伝える大切さがわかりました。今は、感謝しています)
毎日、連絡ノートと電話のやりとり。
負担でしかありませんでした。
あと嫌だったのは、先生の言う事に一貫性を感じれなくなった事でした。
『お母さん、付き添いお願いします。』
の時も、あれば
『今です!早く教室を出て下さい!!』
の時もある。
(結果、イチが走って追いかけてくる)
イチに対しては、
『よく頑張って来たね!』と出迎える事もあれば、『お母さんが困るから、行くよ。』と廊下で声かけして引っ張ることもある。
昨日は、こうで…次の日には、違う…という対応に、私ですら混乱しました。
イチは、もっと混乱したんじゃないかなと想像してました
毎日、あの手この手で先生の作戦に乗っかる事しかできないもどかしさ…頑張って笑顔を作ってストレスでした
そんな中、救いはスクールカウンセラーの先生だったのです。男性だったのでイチは、どう反応するかな…と思っていましたが以外とすんなり
校舎が、普段使われないところだったこともあり2回ほど相談に連れて行く事が出来ました
そして、相談が終わると
『帰って良いよ。先生に伝えておくよ』
と先生がウロウロしてないタイミングで逃がしてくれたのです
親子で、どんなに救われたことか…
そして、ついに事件は起こります。
その日は、いつものように学校に着き、門をくぐるところで『行きたくないよ』と30分程大泣きでした
今日は、もう無理かなーと思い先生に連絡しようと思っていたら 教室から運動場まで出て来てくれたのです
(それは、親としては嬉しかった)
そして、イチに対して選択肢を与えたのです。
『ここで、お母さんと別れる?それとも、○分だけ一緒にいて帰ってもらう?どっちにする?』
イチにとっては、どちらも選べない…
(付き添い授業までしていたので、外で別れる事がまず今までなかった)
イチは、『ここでサヨナラする』と言いましたが、直後に運動場に走って私たちから距離を置き 泣き喚いてパニックになったのです
それを先生は、
『いいよいいよ 発散だよー』
とニコニコして声かけしていたのを見て、
もう、私たちには無理だ。これ以上…イチを混乱させたり怖がらせたくない
そう決心できました。
『先生。もう無理です。今日は、連れて帰ります』
『え?何で?』
『こんなにパニックになっているのに、預けられません』
『私の指導がダメってことですか?』
そう言われて、愕然としてしまいました
ショックというか何というか…
そんなやりとりの中、教頭先生が外に出て来て来て
『クラスの子たちを放っておいてどうするの』
と担任の先生に一喝したのです
その様子を見てしまったので驚きました。
ハッと我にかえりイチに目をやると、
イチが教頭先生から叱られる担任の先生を見ていたのです
そして怯えて、近くにあるフェンスの裏に隠れてしまったのでした。
(私がこれからいくら頑張ってイチに話して聞かせても もう無理だな)
そう思いながらも、変なスッキリ感が心にうまれました
『先生、帰ります』
『ちょっと待って…』
引き留めようとする先生に
『先生…イチは、教頭先生が先生を叱ってるところをジッと見ていましたよ。私には、イチにとってそんな怖い場所に預けることはできません。』
と話すと、先生もハッとされてました
そして、私は
『イチー 帰ろう』
手を振り呼び戻して敷地を出たのでした
それからも
小学校を促すことだけは毎日続けましたが、体調が悪く見えたり嫌がるイチを連れて行くのをやめました。
イチも頑張ろうとランドセルを持って外に出た時、すでに過呼吸を起こしたりしていました。
そんな時は、先生に電話で休むと言い
(どちらにしろ、毎日電話していた)
『ねぇランドセル家に置いて どこかお昼ご飯食べに行こうか
』
と楽しい事をしに外に連れ出しました
一か月に1回の心療内科受診の日。
心療の担当医に
『学校とは、どう?順調??』
と聞かれ、起こった事全て話しました。
それは…無理やわ…2人、よう頑張ったよ
以前、話したことあったけど 病弱の子達が通学している特別支援学校を考えよう。まず、一緒に見学行ってみて。来月までに見学して結果教えて
と言われ、涙を堪えて話をしたのを覚えています
その後、担任の先生に連絡。
先生には、
『支援学校なんて、イチくんには必要ありませんよ』
と反対されました。
それどころか、いつかは普通学級に行ける事を考えていたのです。
『大人は、自分に合わない、又は病気になって自分の意思で仕事を辞めたり変える事ができます。子どもは、何で選べないんでしょうね。
病院の先生に言われたのですから、考えてもいいと思います。それに、先生がイチに必要か必要じゃないかではなく 選択肢があるなら、イチが自分で居場所を考えていいと私は思います。
勉強が…ではなく、私はイチの健康を1番に考えて育てます』
と、ハッキリ言えました
それから、いろいろと言われる事は無くなりました。日程も合わせてもらい2人で支援学校を見学してきました。
最初、緊張していたイチでしたが
案内してくれた支援学校の先生に声をかけてもらうと、すんなり自分から玄関の中に入っていったのです
あんなに泣き叫ぶ子が、自分から行くなんて…と感動してしまいました
それから、
『ぼくは、あの学校に行く』
と私に話してくれたのです
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