あれから2日経った。

既に終了していたようだが、日本からのリクエストに応え、いわばアンコールライヴを行った形になる。
これがまた、Finaleとは思えない素晴らしさ。
ライヴ冒頭の数曲で、何故ビリーがFREEの名曲「Mr.Big」からバンド名をつけたのか、をあらためて示した。
その後は…緩急付けた曲を並べてテンポ良く進む。(喋り好きなエリックの出番がなかった程:笑)
演奏も歌も最高。楽器隊のまとまりが半端なかった。個々の技量は言わずもがな。
個人的はポールのギターが未だに成長し続けている事に驚嘆した。MR.BIG始動前、「光速ギタリスト」のカテゴリー(要するに某伯爵のフォロワー)の入れられていたとは思えない程、そのギターには“歌心”が備わっていた。それがなければ、あの世紀のヴォーカリスト、ロニー・ジェイムズ・ディオの
“歌”をあそこまでギターで表現することなど出来るはずがない。
ニックのドラムは2年前より更にソリッドになっていた。職人技が冴え渡っていた。
エリックも36年前と何ら変わりなかった。スティーヴ・マリオット直系のソウルフルな歌声は惚れ惚れするほど。ヤンチャ坊主的なキャラも変わりない。
そして、ビリー。“唯一無二”だな、とあらためて確信。彼を知った1984年には「ベースのエディ・ヴァン・ヘイレン」と称されていたが…同じ年に聴いたTALASのライヴ・アルバムで聴いた時と同じ鬼神のようなベースソロに圧倒された。歌の上手さも変わらず。
こんな4人が素晴らしい曲を演るのだから、堪らない。
それにMR.BIGのライヴ特有のハートフルな空間も健在だった。
ビリーはスピーチで「私達は友達同士だ」と話した。友達が遊びに来てワイワイ騒ぐような雰囲気…それがMR.BIGのライヴ。
だからこそ、2011.3.11の直後「遊びに行くと言ってた友人から、“やっぱり行けない”って言われると悲しいだろう?だから僕らは来たんだよ(ポール)」 という想いを込めた曲を携えて予定通り来日してくれたのだろう。
お約束の楽器交換タイム、カヴァー、日本の為だけの曲を終え…ビリーの誠実で感動的なスピーチ…エリックは泣いていた。ポールも涙を浮かべていたし、ニック(東京だからってわざわざジャイアンツのユニフォームを着るという粋なことをしてくれたのがうれしかった)も神妙な面持ちで聞いていた。
遂に彼等がステージを降りていく中…流れたのは2年前と同じプロコム・ハルムの「青い影」。
俺は2年前のライヴ後、この曲を聴きながら泣いていた。「もう終わり?こんな凄いバンドが…」という気持ちで一杯だった。
今回は…
俺は笑顔で拍手し、手を振った。
「こちらこそ、ありがとう!いつかまた、どこかで必ず会いましょう!」という想いを込めて。
MR.BIGがハートフルなバンドでファンを家族のような存在としていたのは周りの観客の皆さんを拝見すればわかる。老若男女問わず。俺の前の列には4人の御家族…幼い姉妹はこの日の為に一生懸命作ったであろうビリー推しの手作り団扇を手にしていた。この幼い姉妹をビリーが見たらどんな表情をしただろうか…。
武道館に足を運んでからも、ライヴ中も、帰路に付いた直後も、翌日の仕事中も、そして2日経った今も、Finaleだという実感がない。たとえFinaleだったとしても、彼等が創った素晴らしい音楽を聴けば、ライヴ作品を観ればそこに彼等はいる。
MR.BIGは音楽史上、最も日本人の近くにいるバンドだろう。
一時“BIG in Japan”と揶揄されたが、彼等の魅力に気付けない(一発屋扱いした)側に問題があるとは思うが…時代が時代だっただけに…。
だが、あの時代にMR.BIGがいてくれた事は日本のファンにとって、とてもとても良かったと思うし励まされただろう。「いつか、またメロディアスなロックンロールが戻ってくるから」と。
彼等が守り続けてくれたからこそ、様々な形でメロディアスなロック(メタル)が登場したのだと思う。
もう感謝しかない。
MR.BIG…本当に素晴らしい音楽をライヴをありがとう。いつか、またどこかで。
最後に。
パット・トーピーを忘れるなんて事、俺には出来ない。
ポールと共にオフタイムで初めて出会ったミュージシャンであるパットを忘れるわけがない。
最初で最後になってしまった1994年彼等初の武道館ライヴの翌日、偶然都内某所で会い、サインをしてくれて、俺の「Thank you!」という声にサッと振り向き笑顔で「You are welcome!」と手を振りながら走り去った姿を俺は一生忘れない。
俺の心の中でパットは生きている、永遠に。
ありがとう、パット!
