能登半島地震から南海トラフ地震に備えるシンポジウム | 好きこそ最高!新谷ひでおブログ

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3月27日(水)、黒潮町のふるさと総合センターにてシンポジウムがあり、参加しました。

 

ぜひ土佐清水市もやってほしいシンポジウムでしたが、ないので隣町の黒潮町へ。

 

 

講演で先立って、黒潮町長のあいさつからはじまり、黒潮町とともに地震対策、防災関係を積み上げてきたという東京大学の片田敏孝教授と被災地派遣された職員の吉門さん、利谷さんが話をしてくれたました。

 

片田教授の話で、「災害は容赦ない!」

あらためて被災をするということはどういうことか、事前に検討していることは吹っ飛ぶ。あの熾烈な状況で、雨が降る、雪が降る、都合の悪いことが次々おこる。容赦ない状況の中でそれに耐えうる対策、心の向き合い方を皆さんとしっかり学び合いたい。

 ーこの言葉も痛烈に重かったし響きました。

 

 

会場もたくさんの人! 約300名ほど来ていたでしょうか。

町民の関心の高さ、意識の高さに、さすが防災を強力に進めている黒潮町!と思いました。
南海トラフ地震での最悪想定の津波の高さ34mの日本一を出してからの防災対策の強靭な対策をしているまちならではやと実感。
今回の緊急企画もそうですが、日本2位の土佐清水市との防災への力の入れ方は…とか考えながらも聞き入りました。

 

 

職員の吉門さんは東日本大震災や広島県災害も経験。利谷さんとともに、防災関係の仕事を経験しながら、被災地支援もしながら、どことなく自分事として捉えられてなかったが、今回初めて自分事として感じた。
 ーこの言葉も体験している人から出ないと出てこない意見と感じました。

 

 

お二人は、1/26~2/3までの9日間支援活動へ。
まだ寒い中、石川県珠洲市、能登町へ。
黒潮町のふるさと総合センター、土佐清水市の中央公民館のような建物。石川県珠洲市の「ラポルトすず」を拠点に、2人で車中泊をしながら、支援活動をしたそうです。

支援活動に行っても、作業が終わると被災者と同様な生活をしていた。食事も水も持参で、水は断水中。

電気は行った時には復旧していた。

ガスや灯油は、支援があって、避難所での料理に使えていた
スーパー等のお店、ガソリンスタンドらはすぐ再開できていた。

 

避難所は学校体育館、旧小中学校らが使用されていた。

避難者の大半は60歳以上。

運営では、若い一人の人に、仕事や要望や不満が集中。その人も辛くなって避難所を離れていく、全壊ではない人は自宅に戻り、さらに運営が回らなくなるという悪循環らもあったとのこと。
 ーこの辺は、本当にその場に居て聞かないとわからんようなことやと思いました。

 

 

支援活動の業務内容としては、黒潮町や土佐清水市に企業から寄贈されていたシャワーシステムの設置だったそうです。

朝のミーティングから積み込み、移動、積み下ろし、設置、使用方法のレクチャーという流れ。

 

 

このシャワーシステム、約100台を設置されたそうです。

 

100ℓで約100名が使用できるというもの
雨水、河川水、防火水槽の水で利用可能とのこと。


 

支援チームは、全国各地から来ていて、いろんな企業や団体から来ていて、チームを組んで作業を取り組んだこと

 

 

印象に残ったのは、お二人が寝泊まりしていた場所。

乗って行った車の後ろに期間中、ずっと2人で寝泊まりをしていたとのことで、昼間は支援活動で仕事をして、夜は寒い中、寝返りも打てないような狭い車の後ろで、ずーっと2人で。

3〜4日目あたりからかなり辛かったそうです。

プライベートも何もないってことになってくるのも辛かったとのこと

 

けど、自分らはある程度のゴールがわかった上で活動。被災された方々はゴールの見えない中、生活を続けることだけでも大変なのに復興作業も同時進行で、と思うと被災された方々は本当に辛かったと思う、というのは体験者ならではの感想やと思いました。

 

 

もう一つだけ

水が断水で使えず、支援活動で仕事をした後には、ウェットティッシュやドライシャンプーを使って体や頭を洗っていたそうですが、4日目あたりから、シャンプーをしたくて、頭をペットボトルの水で洗ったそうで、その時が頭は大変やし、水も勿体無いとかも思いつつ、色々と考えたり、さっぱりしたり、と結構な極限状態やったとのことでした。

これらも経験した人ならではの貴重な体験談と感じました。

 

 

今回の話を聞いていく中で、大規模災害に対してやっていくべきことって、非常にたくさんあるけど、今は日本各地でのさまざまな大規模災害に対して、国としても防災力や対応する機材などがたくさん揃ってきたこともあり、やるべきことも順序立ててわかってきてます

 

その中の一つに「住宅の耐震化」

 

建物を守るというより、地震から逃げる時間を稼ぐため、揺れて建物が潰れたら逃げるっていう動作自体にならないこともあるので、まずは傾いて「崩れない家にする」ことが大事

それから、逃げた後に、「地区住民の輪」

避難所で生活になると、いろんな人間の醜いところも見えてくる。そんために、普段からの挨拶やったり、近所付き合いっていうのも、大きな防災活動の一つです。

 

 

黒潮町からは、計8名が参加されたという今回の被災地職員派遣。

土佐清水からも4名が派遣されたということも市の3月の広報誌でありましたが、こういう経験を積んで防災の意識や知識を高めていってほしいし、それをまたアウトプットしていってほしいです

 

 



被災地へ行かれた職員の皆さん、関係者の皆さん、お疲れさまでした。黒潮町の防災担当職員さんはじめ関係者の皆様も、本当にありがとうございました。

 

被災された皆様の一日でも早く平穏な日々が戻られることを祈っています。