こんばんは
先週の、小三治独演会について
!書かせて頂きます。
土曜の昼の13時、茹だるような暑さのなか電車に揺られて向かったのはポプリホール。
鶴川駅から歩いてすぐの会館です。
こちらのホールは
席亭さんが熱心な方なのでしょう、豪華な顔ぶれの会がよく催されています。
そして何よりキャパシティが300人…!!
小三治師匠を300人占めできるなんて、なんという贅沢
さすがの満員でした〜
開口一番、一琴師匠が「真田小僧」をやられます。
真打ちの前座噺も、独演会の醍醐味ですね(癶ω癶)
寄席でおなじみの
金坊に騙された父が女房に「お前も聴きてぇか?そんなら一銭。」というところでサゲ。
拍手のなか一琴師匠が高座を降りまして、
小三治師匠の一席目。
そわそわ、そわそわ
…
そわ…
……小三治師匠、なかなか出てきません
出囃子の「二上がり鞨鼓」、あんなに聴いたの初めて(めωめ)フルナンバー…?
満を持して出てきた小三治師匠
まくらで、なぜ出てくるのが遅くなったかを話されます。
聞けば帯をまだ結びきっていなかったのと
一琴さんへ駄目出しの小言を言っていたとか。
するとそのまま高座脇に一琴さんを呼びつけて、真田小僧の続きを語らせました
真打ちといえど師弟は師弟、一琴さんも突然のことに焦ってつっかえつつ
本来のサゲまであらすじを語ったところで
小三治師匠、
「お前の最初にやったサゲ、寄席でよくやるが
それだとお客さんはどうして”真田小僧”なのかわからねぇだろ。
途中、余計な洒落まで入れて…」などと
すこし小声を言って下がらせます。
そこから、小三治師匠は客席に向かって
「あれでも真打ちですよ。」と毒づいてから
噺のなかの「間」だとか、お客さんに「空間」を想像させることの大切さを
滔々と語りはじめました。
「面白くやろうとするから、つまらなくなるんです」
「頭から笑わせようとしなくても
クスクスって程度の笑いがお客さんの中に積もって
噺の最後で、あぁそうだったのか!ってワッて笑ってもらえたら…それでいいと思うんですけどね、落語ってのは。」
なんでわからねぇかなぁといった
呆れたような風情でおっしゃいますが
それらの言葉は、小三治師匠がよくインタビューや書籍で
若い頃に五代目小さんに言われてひどく悩んだと語っていたことば、そのままです。
だから弟子が どうして、何をわからないのかも
きっとわかっていて
自分もたくさん間違えて相当に悩んだ日々があったからこそ
いま、ご自身がその役を担ってらっしゃるところもあるんじゃないかと思います。
小三治師匠、一席目はちはやふるでした(癶ω癶)リンクはあらすじ解説にとびますー
さて、仲入りがあって
一琴さんが紙切をやられたあと
いつもの黒紋付から、薄墨にごく近い茶色の着物に着かえて登場した小三治師匠。
「先日、中学の同窓会がありまして
古くからの友人でも気性はそれぞれですが…」
まくらでおわかりの方も多いかと思いますが、
2席目は「長短」でした

ゆったりのんびりした長さんと
短気な短七の、幼馴染二人のやりとりが
ちぐはぐでおかしい一席。
個人的にこれは、もし自分が噺家だったら
演るのがものすごく怖いだろうなと思う噺です。
のんびり屋の長さんの
ひとことひとことを話す「間」がとにかく長いから。
そこをたっぷりやればやるほど、短七との違いが際だっておもしろいと頭ではわかっても
よっぽど肝がすわっていないと長さん、ジックリはできないと思います。
わたしは会社でも
面白いと自分で信じきれてない企画のプレゼンの時って少し早口になっちゃうんですが
それってやっぱり読んで字の如く、自信がないからです。
早く終わらせたい、飽きられるのが、反応がこわい、こんな話で時間をとらせるの申し訳ない。 そう思って焦っちゃうんですけど
そんななのでわたし噺家だったら長短ドへたくそだと思います(めωめ)ちなみに自信満々なときは自信満々なときで、興奮して早口です
それにしたって、一席目のまくらで
「間」と「笑いを貯めること」の大事さについて語られた後で「長短」をかけるのは
すごくカッコイイと思いました。
長さんの間にじらされてじらされてじらされて、短七のそれを遮る間や一言でワッと笑って
間とは何か、我慢とは何か自分の考える落語とは何かと
一琴さんに諭したことを語りではなく背中で教えているような、そんな一席でした。
小三治師匠のまくら、
エピソードとして面白いのはもちろんですが
そういう…なんというか、噺で見せたいところと通底している感じがいつも好きです。
去年の独演会のときも書かせて頂きましたが
あのときは学歴や生活に関するまくらのあとで青菜をやられて
噺の中ではお屋敷のご主人も貧乏長屋の植木屋も、生きる世界は違えどそれぞれに幸せで
愛おしい生活っていうのは、豊かだとか貧乏だとか馬鹿だとかそういうことで決まるんではないんだよっていう
人間賛歌としての「青菜」を感じられて、心打たれました。
個人的な感想ですが
志ん朝師匠のまくらは、時代背景や言葉が聞き手にわからないことがないよう
客を江戸に連れていくのに誰も「?」に足をとられてしまうことのないよう、いざなってくれて
小三治師匠のまくらは、特別何かを解説することはしなくても
思い出話や四方山話からジワリジワリと
これから演られる噺をどう聴けばよいか、この噺の髄はなんなのかと
そういう見方にやさしく導いてくれる気がします。
寄席もいいですが
独演会で、好きな噺家さんの高座を一席4、50分くらいでじっくりと聴けるのは、やっぱり最高ですねー…

またお会いしに行けますように
お仕事もがんばりますので、なにとぞ



ではまた(癶ω癶)!
改行という間の取り方すらどへたくそなわたしがお送りしました。







