もと横綱曙関が亡くなられましたね
私と同じ1969年生まれ(しかも学年は下)
死にかけた私がいうのもなんですが
まだ早すぎます・・・
手元にある雑誌『相撲』1993年12月号
ちなみに大関貴ノ花関は負け越し7-8
宮沢りえさんとの破局のあった年
力士としても一進一退だった頃
曙関はこの年横綱昇進で年間最多勝の全盛期
曙関の土俵入りはせりあがりの形が圧巻で
土俵入りの見事さは輪島・千代の富士に匹敵
そして後輩指導やぶつかり稽古の胸出しが
とても熱心でした
求道者然として我が道をゆく感じの貴乃花関と
巡業での姿も対照的でした
満員御礼連続365日で人気絶頂期です
力士や親方らの給与が6%アップとの記事
30年後の式守職場もあまりの人手不足のため
4%のベースアップしましたが
国が決める介護報酬は1%しか上がらず
経営は青息吐息です
相撲人気もあり番付掲載人数はこの年が最多
夏場所の力士数は963名
今年は600名を割り込みました
2/3以下になってしまいました
何と九州場所にポールマッカートニーも来てます
もと高見山の東関親方と曙関
ハワイの先輩大関小錦関が
曙関に敗れて負け越し、大関陥落が決まりました
ものすごくすまなそうな曙関が印象的
もと横綱北勝海の八角部屋スタートの記事
30年後理事長になってるなんてね~
名行司と言われた28代木村庄之助最終場所
戦前から行司をされていた最後の人
立ち合い時に
「あいにおく見おうて(互いによく見合って)」
「はっきょい!のこった!った!…」
の張りのある掛け声で
千代の富士全盛時代の土俵を立行司として彩った方です
ちなみに式守伊之助が空位なのは現在と同じ
当時は三役行司3人から昇進選考がされました
結果、序列2位だった式守錦太夫が選ばれますが
これ以降「選考」ってされていません
理由はいろいろ禍根を残したからとも聞きます
狭い世界だし抜擢や選考も難しいものですよね
曙関もこの28代庄之助さんに薫陶を得たそうです
若手力士を取り上げるコーナーには
モンゴル出身のパイオニア旭鷲山さん
この時代は外国人力士と言えばハワイ出身でしたが
次の「モンゴル出身時代」の萌芽がありました
そして広告です
アートネイチャーの広告に
ダチョウ俱楽部が…懐かしいですね
裏表紙は朝日生命の広告
中江有里さんの雰囲気がいかにも90年代…
すでにバブル崩壊後の不景気時代でしたが
まだ何とかなるとおもわれていた93年
相撲は空前の好景気だった93年
いくら時代は変わっていった30年とは言え
やっぱり早すぎますよ曙関
ご冥福をお祈り申し上げます