元日の能登半島震災

いまだ多くの方が避難生活を送られていますが

 

私の職場の高齢者事業所からは

区内の他の事業所と共同で支援に行きました

 

支援先の高齢者グループホームでは

定員20名に加え、近隣で住めなくなった

避難されてきた高齢者も20名加わり

たいへん密な状況になっていたそうです

介護がいらない場合は

金沢のホテル避難も可能ですが

要介護の方はこうした施設しか身を寄せる場が

なかなかないけど

ケアスタッフもいないという悲惨な事態

こんな中でさらに感染拡大もあって

支援で派遣された職員が

ゾーニングを何とかおこないました

 

幸いというかたまたまというか行ったのが

最近コロナに罹って治ったばかりの職員でした

電気は通じているのですが

水道とガスが未だ止まったままですので

飲料用はまだ支援物品であるものの

衛生管理が難しく入浴もできない1か月

 

派遣職員は日々清拭と介護と衛生管理を交代でしてたとのこと

 

現地の職員も被災しており欠けた状態ですが

出勤できる職員に過重な負担がかかってます

 

派遣された職員さんは

駐車場にしつらえたコンテナに寝泊まりし

寝袋で数日を過ごしました

自己完結できるよう食料や諸々持参しましたが

支援物資が大量に届いていたそうです

 

ただ・・・仕分けする人がいないため

倉庫にたまって箱の開封ができてないとのこと

 

こうした点でも

ボランティアはやることがあるのですけど

コーディネートがうまくいってない感じです

 

大阪からの福祉職員派遣チームは先日

厚労省からのヒアリングを受けたそうですが

「大阪の施設有志の早い支援に感謝してます」

と言われ、これはすなわち

今回かなり支援の手が遅れてるということです

 

大阪から金沢まで高速で300㎞・4時間

金沢から輪島や珠洲は100㎞以上で4時間

同じ県内にも関わらず金沢から能登の先は

東京~宇都宮よりも遠いというのもあります

 

 

現地や行った人は「行政の動きの遅さ」を

口にしていました

熊本や東日本で支援経験がある職員は

ついつい比較してしまうけど…とのこと

 

 

ちなみに・・・

派遣した職員には1日12時間稼働ということで

毎日4時間の超過勤務手当と

1日1万円の特別勤務手当と

夜間も招へいがあったため夜勤手当を

私の会社では支給することにしました

これはよその事業所でもほぼ同じです

連続した5日間滞在してケアにあたり

交代要員と物資を積んだ車に乗って帰阪します

 

 

29年前の私が阪神淡路の支援に行った時代は

すべて無償で「心意気やないかいチュー」が

あたりまえでしたが

こうした点も時代は変わりました

 

 

なんとか現地の事業所が自立的に動けるまで

こちらも厳しい体制ですが

がんばって支えたいと思っています