こんばんは。淀川区を歩いたのは
既に書いた通りですが
その際に十三にある
第七藝術劇場で映画も見たのです
以前から社会派ドキュメンタリーや
社会問題や歴史を扱った作品
大阪ではここでしか上映しない作品もあり
私が十三に行く用事は大半がこの劇場です
ごくまれに飲み屋さん…
大阪市住吉区の大空小学校は障害のある子もない子もともに学ぶ教育を推進していました。そこで起こった様々なできごとと校長や教員や子どもたちと地域の話…
20XX年、政府は憲法第9条改正にあたり、無作為抽出された若者に賛否を討論する機会を設けた。境遇も学歴・職業もバラバラな12名が長時間の議論をするというフィクション作品…
戦争末期の東南アジアでの戦地の惨状を描いた作品…
今回観たのは『教育と愛国』でした
思うんですが…自分の現在は、過去のできごとと生まれた境遇(家庭や地域など)に原点があり、その中には「役立った経験」「楽しかった記憶」もあったと同時に「忘れてしまいたい過去」「失敗や他人を傷つけた経験」もあります
私は何度も何度もこのブログで書いてきましたが、中学時代の「いじめ傍観者」経験が「原罪」のように今も刻み込まれています
もちろん、自分のメンタルだけを考えたら「よかった記憶」を支えに生きて、「失敗や罪の意識」なんて忘却してしまった方がいいだろうし、私ももしかしてそうしている面もあります
この映画で取材されていた「日本の誇り」なるものに立脚した歴史観は「都合の悪いことは意図的に伝えない」ことであり、「不都合なことはなかったことにする」ものです
もちろん歴史は多面的で、事実も無限にあるし、とりわけ戦時には「知らせたくない・知られたくない事実」もたくさんあったと思うし、現在進行形の戦争でさえロシア側・ウクライナ側は、それぞれ都合のいいことだけを殊更に主張する…ましてSNSもない、報道統制もある、記録は焼却か改ざんするのが当然だった80年前の戦争は、たとえ一部で偏った経験であろうと体験者の証言も重要なものと思います。それらを可能な限りいろいろ見るべきと…私は学びました
でも、日本の誇り=悪かったことはしなかったという主張の方が今や主流と言えます
こうした人たちの意を受けて教科書を書いた伊藤隆東大名誉教授のインタビューが映されてました…
私が一番印象に残ったシーンです
ー-教科書の目的は?
「ちゃんとした日本人を作るってことではないでしょうか」
ー-歴史から学ぶことは?
「学ぶ必要はないんです」
ー-それは?かみ砕いて頂くと
「何を学ぶんですか?あなたの仰ってる学ぶって?」
ー-例えば、なぜ日本が戦争に負けたとか
「それは弱かったからでしょう」
・・・えっ?!
そんだけ?
学者がそれ?
監督はMBS毎日放送の斉加尚代ディレクター
関西ではなじみのアナウンサーもナレーションで登場します
おかしくなっている関西マスコミの内部で活躍していると、おそらく逆風が酷いことと思いますが
毎日放送含めて放送局に幻滅していた式守も
なんだかんだ言ってエールを送らねばと
思い直した次第です