このところ、あてにならない天気予報に翻弄された生活をしている。
降るかと思うと、降らない。そして雨量はそれほどでもないと予測すると警報が出るほどの雨量になった。

事故を知ったときも、そして、彼を送るときも、ボクはある川の畔にいる。

ボクは川の水位。流域に降る雨に合わせた行動をしている。
事故の10月。ボクは雨が過ぎ去るのを待ってこの川に来た。そして今月は豪雨をまってこその川にやって来た。雨により移動する魚を調べるためだ。

初めての川なので、降雨の予測がつかずとまどうことが多いと思っていたのだが、かの地では、今までの記憶などあざ笑う雨雲が彼を連れて行った。川は時として、容赦なく奪う。

その川は、ボクが住んでいる川ではない。その川には中流に可動堰がある。たぶん、ニホンでもっとも新しい中流の可動堰なのだと思う。その傍らで、ボクは堰を上る魚を調べている。もし、彼が声を上げなかったならば、吉野川にも同じような中流の可動堰が造られていただろう。

事故を知ったときも、そして、彼を送るときも、ボクは川にいた。
奇妙な偶然のようでもあるが、ある意味ではそれは必然とも言えることなのだと感じている。

 

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