違法取水で社長ら処分へ JR東、水利権取り消し(共同通信) - goo ニュース

 

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流れ戻った 住民歓喜 asahi.com

 この記事の中で、漁協の方がこう話されている。
『地元・中魚沼漁協の長谷川克一組合長は「非常に喜ばしいが、話し合いでいくらかゲートを開けてほしかった。犯罪の結果でこうなったことは素直に喜べない」と話した。』

 ボクはこの部分に静かに感動している。きっと、良識をわきまえたまっとうな方なのだと思う。
 そして、この発言の陰には、今までのJR東日本の不誠実な、常識をわきまえない姿勢に対する鋭い視線が込められている。
 
 JR東日本についてこんな話を聞いたことがある。
 信濃川の減水区間の改善に「試験的」に放流量を増やすという提案が有ったとき。その放流量分の「水代」として億単位の金を請求したという。
 この記事を読んで改めて、あきれたのだが、JR東日本が払っている水利権の使用料は年間で5億円だという。それだけ払って、数百億円の電気を利用していたわけだ。(電気料金は別記事からの推定)それでいて、数㌧の水を流すのに何億円と請求するというのはたいしたものだと思う。
 
 そんな話し合いの中で、互いに融通し合って放流量を増やして欲しい、という地元の願いを無視した結果が今回の「犯罪による」流量の回復だった。

 川の神様は、アルと思います。


☆テキスト版
 
流れ戻った住民歓声 宮中ダム水門を開放

2009年03月11日


●JR東社長「深くおわび」

 信濃川の水を大量に不正取水していた問題で
10日、国土交通省北陸地方整備局から水利権を正式に取り消されたJR東日本のトップは深々と頭を下げ、直後に宮中ダムのゲートを開けた。信濃川は本来の流れに戻り、川辺で見守っていた流域住民には歓喜の声が広がった。
(柄谷雅紀、三浦英之)

   ◇

 JR東の清野智社長は午後1時、新潟市の同局で取り消し処分に関する命令書を受け取ると、宮中ダムでの取水を停止し、ゲートを開けるよう担当者に指示した。開門は午後1時20分ごろから始まり、徐々に水位を上げる形で午後5時ごろまで続いた。急激な流量増加による事故などを防ぐため、社員約80人が流域周辺の警備にあたった。

 清野社長はその後、同局内で記者会見し、「地域の皆様にご迷惑をおかけしたことについておわび申し上げます」と謝罪。社内処分については「近く正式に発表したい」とした。

 取水停止で使用電力の23%を失うことについては「川崎の火力発電所をフル稼働させ、東京電力から購入するなどして対応したい」とし、「運賃に跳ね返ることにはならない」と強調。一方で、電力需要が高まる夏場に電力が不足する可能性については「可能性はゼロではないと申し上げざるを得ない。ご心配を頂かないよう責任を持ってやっていく」と述べた。

 取水許可の再申請については「信頼回復に最大の努力をしている現段階では申し上げにくい」とし、住民説明会の開催についても「市民の方々へどうお伝えするのが良いのか、十日町市と相談したい」とした。

 宮中ダム周辺では10人ほどの地元住民が放流を見守った。大島進さん(65)は「昔はこの川を船が渡り、小学生の頃はよく泳いだ」と振り返り、「昔は『大川』と呼んでいた。いつの間にか水がなくなってしまったけど、また『大川』に戻る。うれしい」。近くに住む男性(53)も「川幅が戻る。清流に戻る。楽しみだ」と笑顔を見せた。地元・中魚沼漁協の長谷川克一組合長は「非常に喜ばしいが、話し合いでいくらかゲートを開けてほしかった。犯罪の結果でこうなったことは素直に喜べない」と話した。

 「信濃川をよみがえらせる会」の根津東六副会長は「今後この豊かな大河をどう守っていくのか。これからが大切な時だ」と話した。田口直人・十日町市長は「地域住民の悲願である大河・信濃川が本来の流れを取り戻したことに深い感慨を覚える。JR東には違法取水によって被害を受けた市民に謝罪することを強く求める」と談話を出した。

   ◇

●本来の姿へ課題3つ

《解説》JR東日本の水利権の取り消しによって、信濃川の流量は一時的に回復した。しかし、数十年間に及んだ大量取水によって、信濃川や流域はかつての生態系や文化を失っている。豊かな大河本来の姿を取り戻すには、さらなる努力が必要だ。

 大きな課題は三つある。一つ目は、ダムの魚道の整備だ。国の協議会では、JR東・宮中ダムに設けられた魚道は、サケやアユが上りにくい構造であることがわかっている。JR東が取水を止めている間に改善する必要がある。

 雪が深い新潟・長野両県にとって、サケは貴重な食糧源だった。信濃川やその上流の千曲川で取れたサケは神聖な魚として扱われ、塩引きにして正月に食べる風習もあった。ダム建設前までは、長野県の松本市や川上村だけでなく、乗鞍高原にまでサケが上ったという記録が残っている。海のない長野県にとって「カムバックサーモン」は県民の悲願だ。サケの復活は、両県の結びつきを強め、市民の交流促進にもつながる。

 二つ目は、発電所と地域との関係だ。JR東のダムや水力発電所はこれまで、多くの市民にとって「迷惑施設」だった。JR東は信濃川の水を使うために流水占用料を年間約5億円支払ってきたが、すべて県に納められるため、地元は恩恵を感じにくかった。両者の溝を埋めるためにも、流水占用料を直接地元に還元できる制度変更が必要だ。

 三つ目は、水辺環境の活用だ。かつて信濃川は流域住民の暮らしの中心だった。大人たちは余暇に釣りを楽しみ、少年たちは泳ぎや操船を学んだ。しかし、川に水が少なくなると、人々は川から遠ざかるようになり、川辺はごみであふれた。「信濃川をよみがえらせる会」の樋熊清治顧問は「川を本当に『殺す』のは、大量取水ではなく、流域住民の無関心だ」と話す。美しい水辺を取り戻すには、人々を川辺に呼び戻す、行政や市民の取り組みが不可欠だ。

 美しい水辺は地域の財産でもある。長野県飯山市では、千曲川でのカヌー企画などを積極的に売り出した結果、93年に約40万人だった夏場の観光客を07年には約70万人にまで増やした。豊かな河川環境を取り戻せるのか――。行政やJR東だけでなく、市民の自発的な取り組みも大きなカギを握っている。(三浦英之)

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■JR東日本・宮中ダムをめぐるこれまでの経緯■

1939年    宮中ダム完成(取水量毎秒167トン)
  84年    十日町市長が旧国鉄に毎秒317トンの取水認める
  90年    信濃川に新発電所が完成。毎秒317トンの取水開始
  90年代   河川環境が悪化。慢性的な水枯れ状態に
  98年    水を戻すよう求める署名で住民7割の署名が集まる
  99年    中流域の適正流量を話し合う国の協議会が発足
2001年    宮中ダムで試験的な放流増加始まる
  08年 9月 宮中ダムで水量データの改ざんが発覚
     11月 JR東が十日町市で謝罪集会開く
  09年 2月 国交省がJR東の水利権取り消し方針を発表
      3月 国交省がJR東の水利権を取り消し