五ケ山ダム予定地にポツン… 神木“立つ瀬”なし 佐賀県天然記念物「小川内の杉」 県境またがり論議進まず(西日本新聞) - goo ニュース
本殿はすでに取り壊されたと記事にある。
こんな姿だったようだ。
山祗神社
この記事の中で興味深い部分がある。
「佐賀県教委に県天然記念物の指定解除を求めた。これに対し、県教委は「人為的要因での指定解除は前例がない」と拒否。」
役所の前例主義は往々にして不自由なものだが、こういった前例主義は頼もしい気がする。
老木であり、移植は難しいということだ。このままだと、無理をして移植して枯死という結果を招くかもしれない。そうなれば、不幸なことだ。美談としてダム際に生きるよりも、幸福かもしれないが。
荘川桜
☆テキスト版
五ケ山ダム予定地にポツン… 神木“立つ瀬”なし 佐賀県天然記念物「小川内の杉」 県境またがり論議進まず
西日本新聞2009年3月10日(火)17:30
●水没「防災上まずい」 伐採「人的要因ダメ」 移植「老化進み困難」
福岡県が建設を進める五ケ山ダム(那珂川町・佐賀県吉野ケ里町)の水没予定地区に残る佐賀県天然記念物「小川内(おがわち)の杉」の扱いをめぐり、福岡、佐賀両県が頭を悩ませている。樹齢700‐800年の“ご老体”だけに、専門家は「移植は困難」。天然記念物の伐採は佐賀県が拒んでおり、そのまま水没させるのも「防災上まずい可能性がある」(福岡県)という動きの取れない状態。市民団体は秘策を打ち上げたのだが…。
本殿が取り壊され、神木の「小川内の杉」だけがぽつんと残る旧山祇(やまづみ)神社境内。「こんなに立派な木が切り倒されるのは見てられない」。市民団体「小川内の親子杉を守ろう会」副代表の久保浩洋さん(81)=吉野ケ里町=は気が気でない。
大小3株が根本でつながっていることから「親子杉」と呼ばれる。高さ約40メートル、根回り13.5メートル。2005年に廃校となった小川内小の校歌にも「お宮の杉のすくすくと」と歌われるなど、集落のシンボルだった。
ダムは1978年の福岡大渇水後に予備調査が始まり、88年に事業採択された。当初は反発した住民も02年に移転に同意し、25世帯(48人)は那珂川と吉野ケ里に移住。神社は昨年11月に約60メートル高い場所へ移転した。
杉も神社と一緒に引っ越す予定だったが、樹木医が「老化が進み、移植しても根を張れない」と診断。集落住民は「ほかに方法がないなら、せめて伐採した杉で記念品を作りたい」と、佐賀県教委に県天然記念物の指定解除を求めた。これに対し、県教委は「人為的要因での指定解除は前例がない」と拒否。佐賀県はあらためて移植の検討を福岡県に要請したものの、いまだ有効な移植法は見つかっていない。
「このままでは親子杉はダムに沈む」。守ろう会は2月27日、佐賀県庁を訪ね「ダムの計画規模は過大。水位を数10メートル下げて杉を守るべきだ」と“第3の道”を提示。県は「事業規模は妥当と認識している」としつつ、検討の上で必要性があれば福岡県と協議する意向を示している。
ダムの完成予定は17年で、前年までに杉の処遇が決まらなければ工期が遅れる。福岡県五ケ山ダム建設事務所の鴨打(かもうち)章工務課長は「専門家の意見を聞いて佐賀県と協議し、できるだけ早く方針を決めたい」と話す。
旧佐賀藩の小川内集落は、旧福岡藩の東小河内集落と川を隔てて向かい合う国境(くにざかい)の要衝で、農民も帯刀を許されるなど両藩の緊張下に置かれていた。その歴史を知る杉は今、両県の交渉の行方を静かに見守っている。
(佐賀総局・中村太郎)
=2009/03/10付 西日本新聞夕刊=
本殿はすでに取り壊されたと記事にある。
こんな姿だったようだ。
山祗神社
この記事の中で興味深い部分がある。
「佐賀県教委に県天然記念物の指定解除を求めた。これに対し、県教委は「人為的要因での指定解除は前例がない」と拒否。」
役所の前例主義は往々にして不自由なものだが、こういった前例主義は頼もしい気がする。
老木であり、移植は難しいということだ。このままだと、無理をして移植して枯死という結果を招くかもしれない。そうなれば、不幸なことだ。美談としてダム際に生きるよりも、幸福かもしれないが。
荘川桜
☆テキスト版
五ケ山ダム予定地にポツン… 神木“立つ瀬”なし 佐賀県天然記念物「小川内の杉」 県境またがり論議進まず
西日本新聞2009年3月10日(火)17:30
●水没「防災上まずい」 伐採「人的要因ダメ」 移植「老化進み困難」
福岡県が建設を進める五ケ山ダム(那珂川町・佐賀県吉野ケ里町)の水没予定地区に残る佐賀県天然記念物「小川内(おがわち)の杉」の扱いをめぐり、福岡、佐賀両県が頭を悩ませている。樹齢700‐800年の“ご老体”だけに、専門家は「移植は困難」。天然記念物の伐採は佐賀県が拒んでおり、そのまま水没させるのも「防災上まずい可能性がある」(福岡県)という動きの取れない状態。市民団体は秘策を打ち上げたのだが…。
本殿が取り壊され、神木の「小川内の杉」だけがぽつんと残る旧山祇(やまづみ)神社境内。「こんなに立派な木が切り倒されるのは見てられない」。市民団体「小川内の親子杉を守ろう会」副代表の久保浩洋さん(81)=吉野ケ里町=は気が気でない。
大小3株が根本でつながっていることから「親子杉」と呼ばれる。高さ約40メートル、根回り13.5メートル。2005年に廃校となった小川内小の校歌にも「お宮の杉のすくすくと」と歌われるなど、集落のシンボルだった。
ダムは1978年の福岡大渇水後に予備調査が始まり、88年に事業採択された。当初は反発した住民も02年に移転に同意し、25世帯(48人)は那珂川と吉野ケ里に移住。神社は昨年11月に約60メートル高い場所へ移転した。
杉も神社と一緒に引っ越す予定だったが、樹木医が「老化が進み、移植しても根を張れない」と診断。集落住民は「ほかに方法がないなら、せめて伐採した杉で記念品を作りたい」と、佐賀県教委に県天然記念物の指定解除を求めた。これに対し、県教委は「人為的要因での指定解除は前例がない」と拒否。佐賀県はあらためて移植の検討を福岡県に要請したものの、いまだ有効な移植法は見つかっていない。
「このままでは親子杉はダムに沈む」。守ろう会は2月27日、佐賀県庁を訪ね「ダムの計画規模は過大。水位を数10メートル下げて杉を守るべきだ」と“第3の道”を提示。県は「事業規模は妥当と認識している」としつつ、検討の上で必要性があれば福岡県と協議する意向を示している。
ダムの完成予定は17年で、前年までに杉の処遇が決まらなければ工期が遅れる。福岡県五ケ山ダム建設事務所の鴨打(かもうち)章工務課長は「専門家の意見を聞いて佐賀県と協議し、できるだけ早く方針を決めたい」と話す。
旧佐賀藩の小川内集落は、旧福岡藩の東小河内集落と川を隔てて向かい合う国境(くにざかい)の要衝で、農民も帯刀を許されるなど両藩の緊張下に置かれていた。その歴史を知る杉は今、両県の交渉の行方を静かに見守っている。
(佐賀総局・中村太郎)
=2009/03/10付 西日本新聞夕刊=