先週の水曜日(4/17)から『新潟日報』朝刊生活面「甘口辛口」でコラムを連載しています。

 

本日(4/23)より2週目がスタートしました。

 

第5回目は初めて訪れた海外、「アメリカ🇺🇸編」です。

 

コラムを読んでくださった方々が少しでも「旅に出たくなるような🚢 」

内容にしたいと思い、文章を綴っています。

 

誌面の字数制限があり書ききれなかった

脇道ストーリーをブログに書こうと思います。

 

 

アメリカにちなんだもの

あったかな〜?と部屋を物色していたら

20代の前半、アメリカで購入をした

ノーマン・ロックウェルの切手シートが📮

 

・・・

 

高校2年生の夏休みにアメリカのカリフォルニア州サクラメントのご家庭で

ホームステイを経験しました。

 

実はその当時の私は海外にほとんど興味がなく、

最初はあまり乗り気ではありませんでした。

でもなぜか、母がどうしても私をホームステイに行かせたがり、

あの手この手で私をその気にさせようと頑張ったのでした。

 

その熱意に負けてか、私はろくに英語の勉強もしないままに

初海外、カリフォルニアの乾いた大地を踏むことになります。

しかし、当然話せないわけです。

ところが、出会う人々はひとりとして手加減なんてしてくれませんし、

こちらの意図を汲んでくれたりはしません😰

 

これはどうしたものか、と困ってしまったものの、話が通じないと何もできません。

当然スマホもAIもない時代です。

小さな紙の辞書を使って、本当に文字通り冷や汗をかきつつ

身振り手振り、表情、お絵描き・・・考えつく限りの工夫を駆使して

気持ちを伝えよう、気持ちを汲み取ろうと必死にもがきました。

 

あの頃の私を、タイムマシーンに乗って今の私が見たら

多分涙ぐむと思います。

 

小学生と高校生の子どもたちを含む、ホストファミリー全員がお肉は食べず、

基本的に野菜中心の生活を送っていました。

 

今では笑い話ですが

本当に最初の2週間は Hungry!! をとうに越えて Starving 腹ペコで倒れそうでした。

 

食べる物くらい、自分で調達すればいいじゃん!

と言われそうですが、広いアメリカ、家の周りには森と湖しかないのです。

一度だけ、自転車を借りて本気でスーパーを探しましたが、

お腹が空くだけで小さな店ひとつ見つかりませんでした。

 

なんて健気な私!

 

そんな私も2週間が過ぎる頃、「実は私は野菜ではお腹が持たない」ことを伝えると

家族全員に大笑いされました。

 

「冷蔵庫にあなた用のハムもお肉も入れてあるよと初日に伝えたのに、

全然手を付けないから、あなたも野菜が好きなんだと思ってたわ!」とマミー。

そうだったのかい!

 

でも家族には本当によくしてもらいました。

この場合、何かをしてもらった、という意味ではなくて

「特別扱いをされなかった」ということが心地よく感じました。

(困ることもありましたが)

 

この時の「命に関わる」経験が(大袈裟)

=「英語が使えないとピンチの時に助けてもらえない」につながり

帰国してからは人が変わったように英語の勉強に打ち込みました。

 

そして、あんなに乗り気じゃなかったホームステイから帰ると

今度は本格的にアメリカに留学してみたい、と思うようになったのでした。