新潟らしからぬ暖かい冬の一日となりました。
今日も1日1回、15分と決められている、母のお見舞いに行ってきました。
全く面会のできなかったコロナ期に比べたら何も文句は言えない状況ですが、
左半身が完全に麻痺している上、動かすことのできる右半身も、点滴と経鼻経管栄養で管をつけているので、それが抜けないように右側も完全に拘束されています。
本人はとても嫌がるので、私たちがお見舞いに行った時だけ外してもらっています。
お願いもしているのですが、急性期医療の病院ということで(&回復の見込みがない)
リハビリなどもなく、基本的にはずっと寝たままの状態です。
診断につぐ診断で、12月1日に三度目の転院をしました。
詳細に調べていただいた結果、これ以上は治療できない病気が発覚し、
今は緩和ケアのできる病院に転院するための手続きを行いながら、
先方からの連絡を待っているところです。
入院当初はいつもの "わがままトミー"(私は母をこう呼んでいます)そのもので、
看護師さんを「完全無視(汗)」し、動く手足をバタつかせ「暴れん坊!」と呼ばれ、
医療現場の方々を振り回していたようですが、ここ最近はその勢いもすっかり息をひそめ、
私たちが会いにいくと「今日は来てくれないと思った」と小さな子どものようなことを言うようになりました。
毎日、家族の誰かしらが、「15分間」会いにいくようにしています。
傍に座って短い時間を一緒にぼーっとしたり、もう何を話しているのかよくわからなくなってしまった言葉を聞き取ろうとしているうちに、すぐに時間が来てしまいます。それでも楽しみに待っていてくれます。
どうすれば母らしく、自由に最後まで生きることができるのだろうか?
考える時間があり、側に少しでもいられることは本当にありがたいことだと思っていますが、そんなことをぐるぐると考えています。こういう立場になってみて初めてわかる・・・では遅いのだと思いますが、でも今感じている違和感みたいなものも大事なことのように思われて心の中に小さく折りたたんで抱えています。
生きること。死ぬこと。
そのどちらにも大きく心が振られながら一日一日を母と過ごしています。