アドラー心理学6【人生は認知で決まる】 | 始まりはアドラー心理学

始まりはアドラー心理学

より、楽しい日々を送るために、
より、ハッピーな人生を過ごすためには、
どうすればいいのでしょうか?
そのための方法論や実践論を考えています。
ちょっと難しい内容かも知れませんが、
みなさんのお役に立てるような情報を伝えていきたいと思います。

前回の最後に、『認知』という言葉が出てきました。
そう『にんち』です。これについて、アドラーは深く追求し、
認知論としてまとめています。

認知というと「痴呆(ボケ)の事?」、
と思う人もいるでしょうが、それは勘違いです。
認知とは、物事を確認したり、理解したり、判断する事をいいます。
この、認知する力が衰えて、日常生活に支障が出てる状態が
いわゆる認知症です。…「!?」。
おかしくないですか、このネーミング?
認知症ではなく、『認知力低下症』とか
『認知不能症』といった方が正解だと思います。
この妙なネーミングのせいで『認知』という言葉の意味を
間違って認知する人が増えたのでは…?

いわゆる認知症患者は、誰もが出来るはずの認知が出来ません。
家族の事を他人だと認知したり、逆に他人を家族だと思い込んだり
ベッドをトイレだと認知して排尿したり
タバコをお菓子だと勘違いして食べちゃったりもします。
このように、ズレた認知ばかりしていては
周囲から病気と認知されるのも当然でしょう。
ならば、認知症ではない僕らは、
物事を正しく認知しているんでしょうか?
いやいや、全然ダメですね。
誰もが、気付かぬ内に、誤解や勘違いや
早トチリの嵐を巻き起こしてますよ。
それで、周囲とトラブるのも日常茶飯事です。

認知症患者が出来ない『正しい認知』とは
主に世間一般の常識やルールを差します。
つまり、誰もが共通する認知が出来ないのです。
しかし、人間は、共通の認知だけで生きてる訳じゃありません。
むしろ、物事の大部分は主観的な基準で認知しています。
だって、物事に対しての見方や感じ方、
捉え方は人それぞれじゃないですか?
それは、今まで育った環境や、体験した出来事や、
関わってきた人たちが全く違うからです。
それぞれが異なる過去を生き、
異なるライフスタイルや思考回路を身に付け、
自分だけの認知パターンを持っています。
つまり、誰もが、自分だけの色眼鏡を掛けて、
自分だけの主観的な世界を見ているのです。
例えば、秋の虫が鳴いているのを、
「うるさい、憂鬱だ」と認知する人もいれば、
「風情があって心地好い」という人もいます。
これは、どちらが正しいとか、誰も決められない事ですよね?
つまり、認知は人それぞれであり、
正しい基準など、そもそも存在しないともいえるのです。
だからこそ、人と人が解り合うのは難しく、
互いに対人関係で苦労するんですね。
やはり、アドラーのいう通り、
『人間の悩みは100%対人関係』というのも頷けます。
そして、そのカギは、まさに認知が握っているといっていいでしょう。

認知の他にも、対人関係の障害になるものがいろいろあります。
次回は、僕らにとって厄介な代物、感情について考えてみましょう。