ゆずりの肥満手術ブログ

ゆずりの肥満手術ブログ

都立病院でうけた肥満手術いまのところ大失敗です

Amebaでブログを始めよう!

ゆずりです。


あれから一年が経ちました。

いろいろなことが変わりました。


結果オペは良い結果を生んで私の体は良い状態にはなりました。

あのオペで得たもの失ったものはいろいろありましたが

一番、ほしかったものは永遠になくなりました。


体を治して、腎臓移植をできるようになりたかった。

ゆずりには父と兄以外に家族がいました。

一つ年上のこで腎不全を患っていました。

うちで一緒に暮らしていてオペで体がよくなったら移植もできるかもしれないと



でも、今年の3月に彼は・・・・・・静かになくなりました。

一人で、一人ぼっちで

桜のきれいな時期でした。

恋人でもない彼が同居するのをさんざん文句ばかり言っていた父が

彼の唯一の肉親であるお兄さん夫婦が来た時にいったセリフが忘れられません

そしてお兄さん夫婦から聞いた話も・・・・・・


お兄さん夫婦には子供がいないので部屋も空いているし自分の家に来ないかと

もちかけたことはあるそうです。

でも、彼はうちに残ることを選んだのだと、その時まで私は何も知りませんでした。


そして、父が彼の遺品を片付けながら言ったセリフ・・・・・・

「彼は、家族ですから」


血はつながっていない。

私の恋人でもない。

でも、家族なのだと。

一番一緒に食卓を囲んだのは父でした。


いまでも、悲しいと思う気持ちは消えず・・・・・・

2年前に長く付き合っていた恋人を亡くし、今度は友人を

生きるって本当はすごく難しい。


なぜ、もう一回ブログに手を付けたのかというとここからは手術ではなく自分で頑張って

減量して見ようと思ったからです。


オペ前の体重は97キロ。

68.5キロまで一度は減り今は72キロくらいです。

目標は50キロ台。


ちょこちょと頑張ってみようと思います


とりあえず、ワンダーコアを買いました。


T病院でこれからオペを受けようか悩んでいる方

一人で抱え込まないでください。

一番の敵は不安と孤独です。


だから、どうぞ勇気を出して話しかけてみてくださいね。

少しずつ私の中の変化のお話もできればいいなと思っています








本当なら明日退院でした。
火曜日にドレーンを一本抜きもう一本を
微調整。
その晩から発熱と体に痛み。
様子を見たものの木曜になっても良くならず
このままでは退院を安心してできないので
保留になりました。

微熱ですがいつになっても普通の生活に
戻れない自分にジレンマです。
でも、ずっときになってた婦人科の検診は
良い結果だったので気持ち的には
幾分ましです。

でも痛い󾭜体がオペ後に戻ったみたい。
Crpが1,4から13に跳ね上がりました。
と言う名目の今回の手術。

内科 T先生 K先生
外科 S先生(オペ後腸のチームへ)N先生(オペ後腸のチームへいき担当は外れる)
胃のチーム I先生 h先生 W先生(オペ後胃のチームへ)

これ実はすごくめんどくさいんです。
胃のチームの先生、内科の先生、S先生みんなバラバラに回診にきます。
つまり、午前中傷のチェックと看護士の回診いれると5回は回診を受けるんです。
起き上がって過ごすように頑張ってるところに朝の六時から検温入れるともう数回。
十時半まで寝て起きてを強要されます。

毎日同じことを聞かれ、肩の痛みを訴え不眠をウッタエテモ対処はしてもらえず。
気力はなくなり、

夜はべっどに横になるだけでも皮膚が擦れる気がして痛くて寝れない。
一日二時間程の睡眠も
食事もなく時間感覚のないままに過ごす
20時間。

その殆どを椅子に座って過ごす日々。
下がらない微熱、無くならない痛み。
伝わらない心。
おいてけぼりの自分を隠すためにもっと
我慢しないといけない。

両親に言われるがままに個室へ移り生活。
看護師さんにあたることも
友人たちに来て欲しいということもなく、
携帯電話すら開く気にもならず過ごす日々。

胃を保護するためにステントを入れる。
麻酔は聞かず苦しさしもがいた挙句
先生はそれにすら気づかず、

悪い先生ではないけれど私とS先生の間にはっきりとした溝ができてしまった。
あれから随分立ちました。
その後の出来事を書きますね。

24日木曜日に病院に行き翌日の入院が決まりました。
CTの結果はひどいものでした。
横隔膜と胃の裏側には嚢胞ができていて
点滴での治癒は難しいとのこと。

S先生は夏休み初日に東北の旅行から帰ってきてくださいました

基本的には熱心でいい先生なのです。
都立病院なので外科にもチームがあるのですが
もちろん、私のオペは胃のチーム。
ちょうど同時期にチーム替えがありましたが
s先生は執刀医なので腸のチームに動いたものの
そのまま担当

とりあえずは、その後の経過ですが


金曜日に緊急手術をしました。
怖くて怖くて気が触れそうになりながら
手術を承諾しました。
ICUに入らないという約束で。

もちろん、オペは意識のないうちに終わっていました。
ただ、腹部には+5センチの傷が増えていました。
小腸に管を入れるさい、三センチの腫瘍があったとのこと。
ガンではなく良性のものではあるとのこと。
病理の結果まだ聞いてませんが。


それを切除してドレーン2本と腸管一本をいれ
膿を取れるだけとって胃のリーク部分を縫い合わせて
オペ終了。

このオペを耐えれば今度こそ普通の生活に戻れると思っていた。
それはあまりにも簡単に翌日に打ち壊されるんですが。


翌日、先生の説明を聞くと縫合不全の部分は一応
縫ったがぐちゃぐちゃでくっついたわけではない。
胃を使わないように腸管から栄養を摂る。

そのための入院が三週間。
退院後もドレーンと腸管入れたまま。
早くて治るのは二ヶ月後。
それすら、確実ではない。と。

こんな、怖い思いも辛い思いもなんでしたのかと。
このご、前回の入院とは全く違う精神状態に突入します。