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おつるのブログより
2015年03月17日(火)
三原じゅん子議員の「八紘一宇」の言葉について思う
私は「八紘一宇」という美しい言葉が好きです。
国会での三原じゅん子議員の「八紘一宇」の言葉を朝日新聞と毎日新聞が、さっそく批判している中で「八紘一宇」の言葉を、太平洋戦争中、日本の侵略を正当化するための標語だと
解説しています。
その偏向した解説は、まるで、国旗「日の丸」「君が代」を
その歌と日の丸を掲げて戦争へ出陣したとか、軍国主義につながる軍国主義、戦争のシンボルだというような解説と似ています。
「道義的に天下を一つの家のようにする」
キリスト教徒である内村鑑三や「生長の家」創始者である谷口雅春なども「八紘一宇」の精神の理解者であり、伝道者でした。
八紘一宇の意味は、
「天に道義があり平和があるように地にもその世界を実現しよう。」という意味もあり
カトリックの大切な「主の祈り」の中の言葉「みこころが天に行われるとおり地にも行われますように」とよく似ています。
確かに戦中に掲げられた言葉でもありますが侵略を正当化するための言葉などというのは、無知かとんでもない偏向した解説です。
シベリヤ抑留の経験者である荒木正則先生は
大東亜戦争の大義という質問に
私のような一兵士が、語るようなことではないと、ご謙遜しながらも、マッカーサーが、日本は自存自衛のための戦争をしたというのは、ひとつかもしれないが、そんなもんじゃない
大東亜共栄圏の確立のために戦ったんだ という言葉が胸をうちました
大東亜、八紘一宇、五族協和
下記の絵本を見てもわかりますが、戦前の世の中が、
白人による肌の色で見下す、人種差別、植民地化が横行する中で
アジアの人々、世界がひとつになろう と
これぞ、自由と平等と差別のない世界を目指していたのだと思います
「平和」「自由」「平等」「反差別」「人権」をいう人間こそ
この戦中、戦前の精神を見習えばよいのです。
かつて、日本が満州国を建国した時の理念が「五族協和」「王道楽土」
五族は日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人を指す。
これも民族が平和に仲良く和の精神で暮らすこと
王道楽土は、
アジア的理想国家(楽土)を、西洋の武による統治(覇道)ではなく東洋の徳による統治(王道)で造るという意味が込められていて
五族以外にも、ロシア革命後に逃れてきた白系ロシア人や、ユダヤ人迫害政策を取ったナチス党政権下のドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人、ウイグル人等のイスラム教徒なども居住していたのです
戦前、戦中の言葉 「五族協和」「王道楽土」
そして「八紘一宇」は、美しい日本の和の精神、差別のない平和な世界を目指す、日本の道徳、道義があらわされています。 このような言葉を侵略の正当化とは、無知としかいいようがありません
大東亜の確立のために戦い敗れた日本ですがアジア・アフリカの独立にその精神が影響を与え、貢献しそしてアジア・アフリカの途上国に戦後も今も多大な援助をしています
だからこそ、阪神大震災や東日本大震災の時、あれほど世界が日本を思い、助けてくれたのだと思います
確かに戦争には負の部分はありました。けれども、負の部分、特に平和、反戦の教育だといって日本が残虐な事をしたとか、悲惨な事がおきたとそのような資料や写真で繰り返し、負の部分を教えることはマイナスにしかならないと思います。
イスラムISの残虐な映像やニュースが繰り返し流れ
それを見た子供たちが、影響されてイスラムISごっこをしていたり先日も中学生の殺人、またイスラムISのように人を殺してみたいと動物を虐待したりする事件がおきています
はだしのゲンのような汚いマンガが子供たちの心を平安にするとは思いません。
美しい言葉、美しい写真、美しい音楽に子供たちを親しませることが子供たちの心に平和な心を育てます。
下記の昔の子供たちの絵本には、美しい和の精神、平和な心が描かれていると思います。なぜこれを否定するのでしょう
またネット上で、言葉狩りのような炎上がおきているらしいですがこの人の言葉じりをとらえて、あげあしをとり、自分は匿名で言葉の責任もとらないのに顔も名前も出して発言している人を叩くことに快感を得る、いちいち、大騒ぎする人間の愚かさ最近、こういうネットの言葉狩り叩きを見ると言論、思想の自由といいながら、小学校の学級会の糾弾会、誰々が〇〇といいましたと先生に言って発言した人が、理由を述べたりみんなの前で反省をさせられる
・・・・・というような
まるで共産主義者が、総括、自己点検・自己総括をさせるよう。そんな週間に慣らされているような気がします
中国共産党に自己批判させられるチベット人女性
平和を願った大東亜戦争の精神、 八紘一宇の塔
宮崎県宮崎市の中心部北西の高台、平和台公園(戦前は「八紘台」と呼ばれていた)にそびえ立つ塔。正式名称は「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」。設計は、彫刻家の日名子実三。現在は「平和の塔」と呼ばれている。 神武天皇が大和に東征するまでの皇居と伝えられる皇宮屋(こぐや)の北の丘に1940年(昭和15年)、「皇紀2600年」を記念して建造された。
この塔の建立に当たっては日本全国からの国民の募金・醵出金がその費用の一部に充てられた。また、日系人が多く住む中南米やハワイ、同盟国であったナチス・ドイツの企業DEST、イタリア王国からの寄付もあった。さらに日本軍の各部隊が戦地から持ち帰った様々な石材が使用された。
「八紘一宇」という言葉は、神武天皇が橿原で即位された時の勅語の一節「八紘を掩いて宇と成さんこと亦よからずや」という建国の理想からきている。 世界平和を願ったものなのだが、日本を占領したGHQ司令部は昭和20年12月、「八紘一宇」という語の公文書における使用を一切禁止した。 日本を侵略戦争にかりたてた世界征服思想と決めつけたのだ。 このGHQ史観は今日でも健在で、GHQの指令通りの見方で作られたドキュメンタリーTV番組が評価を得たりしている。
ところが極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判では「八紘一宇は侵略思想ではない」ことを連合国側に日本側が認めさせた事実がある。 基本的に一方的で理不尽な東京裁判において事実問題で日本側弁護団が証明に成功したのは、「八紘一宇は侵略思想ではない」ことと「タイ国は日本の同盟国であり、タイ人捕虜に対する虐待などありえない」という2つだけであった。
昭和21年1月、GHQの命令によって「八紘一宇」の文字は削り取られ、四角の塑像のうち「武」を象徴する「荒御魂像」が取り除かれた。 そして「平和の塔」「平和台公園」の名前に改められた。 今日に至るも、この塔を「侵略の象徴」と決めつけ得々と世界平和を語る人がいる。彼らも実は、時の空気に迎合し、自己を安全圏に置こうとする所が共通なのである。
その後、復元と保存の機運が起こり37年になって「荒御魂」像が、40年には「八紘一宇」の文字が復元された。 昭和39年の東京オリンピックの聖火リレーは、この「平和台公園」がスタート地点となっている。
三原じゅん子氏「八紘一宇は大切な価値観」予算委で発言
朝日新聞デジタル 3月16日(月)21時9分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150316-00000036-asahi-pol
自民党の三原じゅん子参院議員(比例区・党女性局長)は16日の参院予算委員会の質問で、「ご紹介したいのが、日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇(はっこういちう)であります」と述べた。八紘一宇は「世界を一つの家とする」という意味で、太平洋戦争中、日本の侵略を正当化するための標語として使われていた。
三原氏は、企業の国際的な課税回避の問題を取り上げる中で「八紘一宇の理念のもとに、世界が一つの家族のようにむつみあい、助け合えるような経済、税の仕組みを運用することを確認する崇高な政治的合意文書のようなものを、安倍総理こそが世界中に提案していくべきだと思う」と語った。
答弁した麻生太郎財務相は「八紘一宇は戦前の歌の中でもいろいろあり、メーンストリーム(主流)の考え方の一つなんだと思う。こういった考え方をお持ちの方が、三原先生の世代におられるのに正直驚いた」と述べた。
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