平成26年12月15日
百人の会 増木 様
湯澤甲雄 拝
「司法の左傾化にストップ、学校教育再生について」
「司法の左傾化にストップをかけ、正常な学校教育再生」について、私なりの理解を述べさせていただきたいと思います。
(ミニ講演会とは、直接関係するものではありません。)
「弁護士法第1条1項 弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」とあります。
この基本的人権の定義や具体的内容について、法律で定まっていないために、基本的人権の解釈を「左傾化させたものが正しい」と決めつけていることから左傾化が起きていると考えます。「憲法第11条、憲法は国民の基本的人権を永久に保障即ち尊重する」と至高の規定としていますので、基本的人権の解釈を左傾化させれば、憲法解釈も弁護士も教育行政も自ずから左傾化します。仮に「右傾化させたものが正しい」と変えたら、憲法解釈も弁護士も教育も右傾化します。
それが現在左傾化しているのは、占領軍の公職追放令に協力して日本の行政組織に根を張った左翼勢力が、昭和21年自由民主主義憲法制定当時に至高の条文である「基本的人権尊重」に仕掛けた左翼革命装置が現在も有効に機能している故に、弁護士と憲法解釈、教育が左傾化していると考えます。
その装置とは、第1に「基本的人権」という概念であって、自由民主主義原理の中核を成すものにして、国際条約・「社会権規約」「自由権規約」にのみに定義づけられています。しかしこれは国内法として定義づけられていません。否、我が国の法曹界を支配した左翼勢力は、この国際条約を今日に至るまで徹底的に隠し続けてきています。この規約には、自由民主主義制度の規範(Standard)が記載されているからです。我が国の法曹界は左翼勢力が支配していますので、これを勉強した法律家は我が国に居りません。
第2に、国民の「基本的人権」の内容を憲法に定義せず、国が尊重する具体的対象を不明にした真空の憲法にしています。主権者たる国民のその主権が真空ということです。
第3に、その「真空」地帯に<国民全体の「基本的人権」(=真空)を国が尊重する>に<国民個人の「自由」と「権利」を「基本的人権」と化して国が尊重する>を加えて、両者をごっちゃ混ぜにして、国民を全体主義・共産主義に誘う憲法解釈を普及させています。これによって、憲法第12条の<「自由」と「権利」は、国民の不断の努力により保持する>並びに、<「自由」と「権利」は常に公共の福祉(=国民の基本的人権)のためにこれを利用する責任を負う>という憲法の保障義務規定を空文化させています。
つまり、<「自由」と「権利」を国が尊重することは違反>としている憲法第12条の規定を、憲法解釈上憲法違反に該当しないことに変じています。
第4に、左傾化した憲法解釈をする学者、政治家、弁護士等は、憲法第14条から40条に至る国民の自由と権利条文について、これらが基本的人権であるから尊重されるべきものと誤った憲法解釈をしています。社会権規約、自由権規約で言えば、第三部の条文に該当するものにして全て保障の対象ですが、憲法解釈は尊重の対象とする誤った条文解釈を行っています。
第5に、このように、個人の「自由」や「権利」が尊重されるという誤った憲法解釈が通用する背景には、更に憲法第13条「すべて国民は、個人として尊重される」があります。
マッカーサー憲法草案第13条が、国民の道義を述べた「教育勅語」を問題視していなかったものを、これを意図的、目的的誤訳又は解釈を捏造して、個人の権利尊重に誘うための条文に変えたのであります。
マッカーサー憲法草案第13条「all japanese by virtue of their humanity shall be respected as individuals.」(直訳・人間愛を帯した全ての日本人は、基本的人権を帯した家族や共同体の人々として尊重される。individualsは国連用語)に対して、憲法条文の翻訳は全く不可解です。
上記第1から第5までの不可解な憲法解釈が成立した背景をみるに、20万人の公職追放の嵐が吹きまくる中で、左翼勢力は自分たちの意に沿わない公務員を、「軍国主義者」として盛んに進駐軍に告げ口しており、それを当時の公務員は失職を極度に恐れていました。毎日のように食糧買い出しに追われている最中において、「自由民主主義の原理とは何か」「基本的人権とは何か」について、まじめに考える余裕が無く、左翼勢力の跳梁やリベラルに妥協することを許してしまったと思われます。
また、左翼勢力はあらゆる手段を講じて、国際条約を受け入れようとする人たちが法曹界に留まる事を排除してきています。このような結果、自由民主主義の政治原理の核心に据えられた「基本的人権の尊重」の概念は、中学校公民の教科書にみられるように「個人の権利尊重」という平等主義・共産主義の言葉に置き替えられているのです。
教育界では平成12年に制定された「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」に基づく人権教育という名の「個人の権利尊重教育」即ち全体主義、共産主義教育が首長の主導の下に行われるようになりました。従って、教育問題の淵源は、既述の憲法解釈問題に人権教育が加わり、今日においては文部科学省や教育委員会の問題というよりも、総務省、首長局に責任を帰せられる問題であると考えるべきです。
このように至高の条文である憲法第11条の下に在る行政の一角に、左翼勢力の確実な革命橋頭堡が築かれているので、憲法第9条武力行使をおとりにした護憲運動を懸命に展開しているとみられます。
左翼勢力との最大の争点は、憲法第9条ではなく、自由民主主義原理の法秩序の確立と第11条国民の基本的人権に対する国の永久の保障について、「社会権規約」「自由権規約」の英語の原文の定義を憲法条文の中に正しく据えることができるか、否かです。従来の憲法解釈の変更が、最大の争点と心得ます。
なお、自由民主主義の原理(「基本的人権の尊重」「自由」「自由と権利」)とは何かについては、累次の弊信をご参照いただきたいと思いますが、日頃の愚見を込めて以下に簡単に述べます。
1、「基本的人権の尊重」とは、「父、母、児童から成る人間家族とその共同体の人々が、古より培ってきた習俗、伝統、文化、法律等の固有の尊厳及び人間愛を認定し、それを国が尊重し保障すること」であります。(私は、これを明治憲法と極めて類似した精神であると感じています。)従って、それぞれの国家が全て異なる基本的人権を有します。それぞれの国家が他国の基本的人権を制限し、侵すことについては、両規約第5条においてこれを禁じています。
基本的人権認定法、国家安全保障法、集団的自衛権法、緊急事態法、秘密保護法等は全て、憲法第11条基本的人権の永久の保障の下に定められるべき法律であり、これがすっぽり抜けているのが現状です。
これらの法律を、憲法第10条の下に国籍法等があるごとく、憲法第11条の基本的人権の憲法解釈を確立した上で、その下に定めるべきと思料します。
2、「自由」とは、無数にある個人が千差万別の自由を持っていることについて、国がこれを保障することです。国が尊重する場合は「自由」の否定、全体主義になるので尊重すべきでなく、あくまでも国は第三者の立場から公平・中立の司法制度を国民に提供することによって、個人の自由を保障するものです。
3、「自由」を国民が確実に享受するために国連によって「条件として創設」されたものが「内心の自由」「報道の自由」等の「自由と権利」です。天賦のものではありません。公民教科書に天賦のものと記載したものがありますが、誤りであり訂正されるべきです。世界共通のものとして「社会権規約」「自由権規約」第三部に定められている他に、これから抜粋して憲法第14条から40条に定められています。
4、両規約は、「基本的人権」「自由」「自由と権利」の間に、法秩序が定めています。
即ち、個人の「自由」「自由と権利」は、常に家族や共同体の人々の「基本的人権」を増進擁護しなけれ
ばならないとあり、「基本的人権」のないところでは「自由」「自由と権利」は単独で有効とされることは無いと定めています。
例・学校内で頻発する「いじめ」や「自殺」は、教育公務員が地教行法に定める教育の基本理念を忘却して、児童一人一人の権利を尊重すること、それぞれの立場に居る関係者を尊重すること、自分の権利も尊重されなければならないと思うこと等日教組の「個人の権利尊重」概念に関係者の多くが侵された時、全員が無作為、無責任で居られる合成の誤謬が生じて、児童の間で発生するものと理解しています。
これは「個人の権利」が単独で有効とされている場合に該当します。「個人の権利尊重」の概念は、国家解体の仕掛け装置です。憲法改正論議はここに焦点をあてることによって「基本的人権尊重」の概念を何としても憲法条文として確立して、自由民主主義国家としての日本国の礎を固めるべきであります。斯くすることによって、法治国家が完成すると思料します。
以上、年末ご多忙のところご検討を煩わしたく愚論・愚見を述べる次第です。
-----Original Message-----
From: NPO法人百人の会 [mailto:h100prs@oregano.ocn.ne.jp]
Sent: Friday, December 12, 2014 1:05 PM
ミ ニ 講 演 会
12月1日、東京地裁で英霊を冒涜する裁判の2回目の口頭弁論がありました。
http://mid.parfe.jp/kannyo/eirei/sosyoukeika/2nd-tokyo-report.htm
その報告を題材とし、なぜ「裁判所が左巻き」なのかを、どのような手法でそうなったの
かを「司法の左傾化、そのプロセス」と題し、徳永信一弁護士に解説していただきます。
徳永弁護士には1年前にも来ていただき、沖縄問題を語っていただきました。そして今年も。要は、司法判断がいかに教育に重要か、百人切り裁判や、七尾養護学校の性教育裁判
などでおわかりと思いますが、裁判で教育内容が決まると言っても言い過ぎではないから
です。百人切り裁判が終わって、稲田朋美弁護士(現自民党政調会長)が「裁判所が左巻
きだから!」と言われたのが印象的でした。
それで、12月1日の東京地裁のことですが、その3日前に補助参加第1陣(15名)は却下
され、その理由説明もありません。なぜ説明がないのか。また、特に裁判の後半、法廷内
の原告弁護士(左翼)と傍聴席の村田春樹氏が怒鳴りあうという、かつて経験したことのない光景に出くわすなど、尋常にはとうてい理解できません。このような左傾化を弁護士
に問わずにはおられません。教育の正常化を願う弊会としては看過できないのです。
司法の左傾化にストップをかけ、正常な学校教育再生に徳永弁護士のお知恵を借りたいと
思います。
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