とりあえず、糞メディアこのやろー、つーことで。

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はにゃ。お~い、ひんべぇ~ ぼくは、youtubeソフトバンク公式chにいるからね~
最初はフジテレビchにいたんだけど閉鎖されちゃったんだ。 マスコミは嘘ばかり。被災地の事だって忘れちゃったの?皆で日本をよりよくしていこうね。はにゃ^^

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2011年3月11日に発生した東日本大震災、

そして翌3月12日に発生した長野県北部地震以降、

いつか近いうちに被災地へ、とりわけ甚大な被害が広範囲に渡る東北地方へは必ず向かわなければって思っていながらも、もう2年と半年近く経過してしまっていました。

栄村復興支援機構「結い」
栄村復興への歩み

で今回やっと機会を作り、8月31日から2泊の予定で東北地方へと向かうことが出来ました。

初日は宮城県石巻市の「石ノ森萬画館」に向かってから、宿泊を牡鹿郡女川町にある被災地初のトレーラーハウス宿泊村「EL FARO」で。
翌日は「相馬野馬追」の出陣式が行われる福島県相馬市で宿を取り、その後、南相馬発の急行バスで飯舘村を経てJR福島駅に至り、そこから会津若松を回るという強行軍。

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石ノ森萬画館

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飯舘村 除染作業に関わる作業をしていました


元々対した予定も立てず、ほぼ行き当たりばったりで、次に利用したいとする電車の出発時間が迫っているということが幾度もあり、その都度走り続けなければならないといったことばかりの実に忙しない旅となってしまいました。

それでも、偶然に出会うことが出来た方々から貴重なお話をたくさん聞かせていただくことが出来たりと、本当に幸運にも恵まれた旅だったと思います。

そうした幸運のひとつが、宮城県女川町で、被災者のやる気を引き出していくことが大切であると、そうした観点から活動を展開している「うみねこハウス」に立ち寄ったことでした。



EL FARO


女川町・トレーラーハウス宿泊村 EL FARO(エルファロ)PV.mp4



女川港周辺

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女川さいがいFM
「女川町地域医療センター」入口脇にあるプレハブがスタジオです


宿泊村「EL FARO」を後にし、今尚津波に押し倒されたままの建物や、高台に位置していながら津波の被害に遭った「女川町地域医療センター」など、女川町の津波被害の現状をいろいろと見て回り歩き疲れた身体を少し休ませようとふと立ち寄ったところが、数戸のプレハブを合せただけのところ。
よく見ると、建物に「うみねこハウス」と。

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大きな地図で見る
宮城県牡鹿郡女川町鷲神浜丸山12-1


何か食べるものはあるかと尋ねると、なんと今出来るのは「アイスコーヒー」だけだっつー話。
じゃあそれお願いしますって頼むよねふつー、ここまで来たら。
で、用意していただいた「れーこー」を飲みながら、最初はなんとなく雑談してしてたのでした。
おつまみにと頂いた、海苔も食べながら。

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国際救急法研究所
「うみねこハウス」建設の様子です

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牡鹿半島は名前のとおり鹿が多いそうで、よく山からそこらへ鹿が下りて来るそうです


ここ「うみねこハウス」は、およそ3つの用途を持つ建物で構成されているとのこと。

ここ中央に位置するテーブル上に置かれ販売を行っている「布ぞうり」は、この真ん中のプレハブで、今まさにおばあちゃんたちが会話を楽しみながら作っています。

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うみねこはうす
草履づくり体験もできます


もうひとつは左隣、道路に面しているプレハブには「ママサポーターズ」と書かれ、道路側から正面にあるみっつ目のプレハブには「さんまなたい焼き」と書かれています。

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それぞれこれまで幾度かメディアで取り上げられているということで、話を聞くうち「さんまなたい焼き」は、どっかで聞いたなっつー記憶が甦りました。

いまは残念ながら、たい焼き用の粉がきれてしまっていて、今日中にここに届けられるほずだとということなのでした。

さんまなたい焼き

「布ぞうり」は、全国からここへ送ってもらった「Tシャツ」を、仮設住宅で暮らすおばあちゃん方が紐にして作り上げていくというもの。Tシャツはいろいろな種類のものがあった方が配色を考えたりするので楽しくなるということでした。

それら善意で送られてきたTシャツを、今は「ママサポーターズ」と書かれた部屋に保管。
こちらではじめた被災地支援活動を当初は「ママサポーターズ」が行い、現在その活動が多岐に渡り、この他に、栽培が比較的容易だという理由で、仮設住宅で暮らすおじいちゃん達がトウガラシ栽培を行っているということでした。

現在、活動を紹介しているフェイスブックの名称も「ママサポーターズ」。
そちらをみると、精力的に活動をしていることがわかります。

ママサポーターズ

その中でも現在特に力を入れているのが、「高白浜仮設住宅」近くの「うみねこハウス」代表の親族の、津波で被災した家屋を用いて進められている「ゆめハウス(仮)プロジェクト」なるもの。

現地へは、ここから車で7分くらいということであり、わざわざ今から、現地まで連れて行っていただけるということなので、代表の運転で連れて行っていただくことになりました。

車はここまで辿って来た道を戻り、女川湾にあたると、「EL FARO」とは反対の右方向へ。
そのまま女川湾沿いに進んで「高白浜仮設住宅」を左に折れたところすぐにその建物はありました。

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隣接していた家屋は押し寄せた津波に流されてしまい、周辺にあるのはこの奇跡的に残った家屋一軒だけ。
海水は2階にまで到達しましたが、基礎にはほとんど被害らしい被害はなく、家屋表右側シャッターは今でも普通に使用出来るほどです。

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周囲には皆で開墾して作った畑があり、現在そこでは、先述したおじいちゃんたちが栽培している「唐辛子」が実をつけ、その間に「イチジク」の木が実をつけています。

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大きく目立つイチジクの木2本は、津波に完全に飲まれ、しばらく海水に浸かったままであったため駄目になってしまったと思っていたものが、今は見ての通り元気に復活したそうです。

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これから更に畑面積を広げるべく、ボランティアの方々の力も借りて開墾を進めており、
この被災家屋をカフェへと生まれ変わらせるための室内改装へも、これから着手していくという話でした。

$とりあえず、糞メディアこのやろー、つーことで。

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写真2枚とも2階部分。ふすまの上部にある線は津波の跡。
これは、カフェ開店後も何らかの形で残して行きたいとのこと。

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左の電信柱は震災後に新設したもので、右は被災し放置されたまま。
この家屋にはまだ電気も水道も通っていない。
すぐ近くまでは既に来ているので、今後それらをここへ引き込む工事を行わなければならない。
見ての通り景色のよいところなので、いずれは海まで遊びに行けるような環境にしたいと。

$とりあえず、糞メディアこのやろー、つーことで。

これでもここは、以前よりずっと整備されたのだと。
写真奥に見える、これから海中へと運ばれていくための組み立て待ちテトラポット群も、以前はもっと多くそこら中一帯に敷き詰められていて、当時は開墾などとても出来る状態ではなかったそうです。

カフェ開店までの道のりはとても困難だと感じられましたが、
とにかく前へと進んで行こうとする気持ちが大事であり、その思いを立ち止まらせないようにしていることこそが、「うみねこハウス」代表の行動原理などだと感じさせられました。


$とりあえず、糞メディアこのやろー、つーことで。
高白浜仮設住宅


車でここを離れ、「うみねこハウス」に戻る途中、「辛い気持ちになった時も、ここからの海の景色を見ると心が晴れる」とおっしゃっていました。
実際に、まだ海を見ることが出来ない方々が多くいるという中では、
「ならば動ける者が、どんどん動いていったらいい」のだとおっしゃる「うみねこハウス」代表のような方が、まだまだこうした被災地で孤軍奮闘しなければならない状況なのが、
多くの被災地の現状なのだろうと感じざるを得ませんでした。

「うみねこハウス」代表の八木さん。
いろいろお話聞かせていただき、ありがとうございました!
またいつかここ来るかもだけど、そん時はもうあっちに移動してっかも知んないっすよね!

がんばれー。