「しかし地頭などの領主で当時国人と呼ばれた地方在住の武士には,なお自立の気質が強く,守護が彼らを家臣化していくには多くの困難があった。守護の力が弱い地域では,しばしば国人たちは自主的に相互間の紛争を解決したり,力をつけてきた農民を支配したりするために契約を結び,地域的な一揆を結成した。これを国人一揆というの。このような国人たちは,一致団結することで自立的な地域権力をつくり上げ,守護の上からの支配にもしばしば抵抗した。」(山川の教科書)


「内乱期には当主が討死することが珍しくなかったので、幼少の新当主が出現する確率は非常に高かった。そして、幼少の当主が自己の所領を防衛するためには、一族・近隣武士と一揆を結ぶ必要があった。このような「非常時」特有の危機への対応として、国人一揆は成立したのであり、鎌倉期の在地領主連合の単純な延長として把握することはできない」(『戦争の日本中世史―「下剋上」は本当にあったのか―(新潮選書)』(呉座 勇一 著)より)


呉座さんの捉え方は、非常に現実的。

建武政権は鎌倉・室町幕府に挟まれ、短期間で終了するので、授業でもあまり詳しく取り上げていない。後醍醐の特異性に注目した授業になってしまっていた。最近の研究では、建武政権の諸政策を室町幕府が継承していたという事実が明らかにされているそうだ。失敗に終わったものの、後醍醐の改革の方向性は正しかったのである。次回の授業で少し触れてみたい。
呉座勇一の『日本中世への招待』より
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ジョギングコースの桜

先日、あべのハルカス美術館の東大寺展を見学した。
国宝の重源上人像が印象に残った。
顔の表情に深い思想が宿っているようにかんじた。

重源といえば授業では平重衡が焼き払った東大寺などを復興した僧として扱われる。
「勧進」という語句は教科書には出てこないが、説明の都合上「勧進」という言葉を使用する場合がある。
しかし、この「勧進」という言葉が難しい。
勧進とは、一般に「社寺や橋梁などの造営・修復のために衆庶より広く資財を集めることを目的とする募資活動」のことを言う。
その募資の背景に人々の社会的・心理的不安感をやわらげるという宗教的理念があったということを生徒に理解させることが難しい。
宗教の本質に関わる問題だからである。

東京大学の2012年の第2問も、勧進の理念についての理解を要求している。
受験生にとってかなり難しかったと思われれます。
雨の中、遺跡公園を一通り見て回ったが、少し期待はずれだった。遺跡を忠実に復元したもねではなく、建築物の復元が中心であった。

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上の写真は大阪府立弥生文化博物館に展示されている模型。

建物の前に掘られた井戸は非常に興味深い遺構だ。何か宗教的な意味合いがあったのではないかと考えられる。


春休みになったので年休をとり、自主研修として大阪府立弥生文化博物館に行ってきた。それほど大きな博物館ではないのだが、内容が充実しており、非常に親しみのもてる博物館だった。特に小中学生の学習に最適だと思った。大学時代の恩師である都出先生も展示内容に関わっておられ、とても懐かしく感じた。

今まであまり音声ガイドを活用したことがなかったのだが、今回は試しにつかってみた。思ったより役にたった。

常設展では写真撮影も許可されていたので、授業で使えそうな展示の動画を撮ってきた。編集が楽しみである。

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今年も金印の季節になりました。

授業で金印のレプリカを見せ、スタンプを一人ひとり押しました。


授業終了後、何人かが金印のレプリカをさわりにきました。

少しは興味を持ってくれたのだろうか。


金印のレプリカが古くなってきたので、もう一つ購入しようかなと思っている。

金色がはげてきました。


本日は、弥生時代の授業。


縄文時代の授業では、縄文土器のコレクションを生徒にみせたのだが、残念ながら弥生土器のコレクションはない。


生徒の中に弥生土器を持っている人がいたら、譲ってくれるように話したが、あまり期待できないかも。


どこかで手に入れて、生徒に直に触らせたいとおもうのだが・・・




ノモンハン事件について説明したときに、日ソの装備の差についてふれた。特に戦車の性能に差があったことを指摘したら、授業後生徒に指摘されました。日ソの戦車の装甲にはあまり差がなかったが、作戦の失敗がノモンハン事件で負けた大きな要素だというわけです。その生徒の言うとおりで、作戦の失敗が最大の敗因だったことは間違いありません。しかし、機械化部隊の量・質についても差があったのの事実ではないかと思います。最近出版された小林英夫『ノモンハン事件』を読んでみましたが、作戦を強行した参謀らの愚行とともに装備の性能差についても指摘がありました。特に事件の初期に有効だった火炎瓶攻撃は、戦いの後半ではあまり効果がなくなったといわれます。ソ連の戦車がディーゼルエンジンに改良され、発火しにくくなったためです。また、空の戦いでもソ連は戦術と装備を改良して、後半は互角以上の戦いをしたということがわかっています。ノモンハン事件については、司馬遼太郎が小説にしようとしましたが、小説の下調べを中に小説を書く意欲を失ってしまったようです。それほどおろかな戦争だったということかもしれません。戦前の日本軍の愚行については、また別のところで触れたいと思っています。