「しかし地頭などの領主で当時国人と呼ばれた地方在住の武士には,なお自立の気質が強く,守護が彼らを家臣化していくには多くの困難があった。守護の力が弱い地域では,しばしば国人たちは自主的に相互間の紛争を解決したり,力をつけてきた農民を支配したりするために契約を結び,地域的な一揆を結成した。これを国人一揆というの。このような国人たちは,一致団結することで自立的な地域権力をつくり上げ,守護の上からの支配にもしばしば抵抗した。」(山川の教科書)
「内乱期には当主が討死することが珍しくなかったので、幼少の新当主が出現する確率は非常に高かった。そして、幼少の当主が自己の所領を防衛するためには、一族・近隣武士と一揆を結ぶ必要があった。このような「非常時」特有の危機への対応として、国人一揆は成立したのであり、鎌倉期の在地領主連合の単純な延長として把握することはできない」(『戦争の日本中世史―「下剋上」は本当にあったのか―(新潮選書)』(呉座 勇一 著)より)
呉座さんの捉え方は、非常に現実的。



