8月 9日<江戸両国にラクダがやってきました。(1821年)>:blog「日本史大歳時記」 | akishinomiyaのブログ

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今日 8月 9日はどんな日でしょうか。
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1.誕生日おめでとう篇
 1866年:明治~大正時代の洋画家、黒田清輝(くろだせいき)。(グレゴリオ暦)
wikiに上げられている画像へのリンクです。→黒田清輝

黒田清輝は、実は法律の研究のために1884(明治17)年に渡仏しましたが、パリで画家と交流するうちに1886(明治19)年には画家に転向し、ラファエル・コランに師事しました。

1893(明治26)年にフランスから帰国したのち、黒田清輝は、1896(明治29)年に白馬会を結成し、フランス印象派の画風を受けたその明るい新鮮な技法は外光派(紫派)と呼ばれました。

また清輝は、東京美術学校に新設された西洋画科の教授となり、藤島武二・岡田三郎助・和田英作らの後進を育てました。

wikiに上げられている黒田清輝の作品の画像へのリンクです。
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2.お悔やみ篇
 1221年:平安時代末期~鎌倉時代初期の公家、鎌倉幕府の問注所初代執事、三善康信(みよしやすのぶ)。満81(80かも)歳没。(旧暦)
三善康信のお母さんが、源頼朝の乳母の妹であったというところから、伊豆に配流されていた頼朝に京都の情報を提供していました。

源平争乱のおり、源頼朝は関東を動かず、新しい政権の樹立に努めました。本拠地に選んだのは鎌倉でした。鎌倉は東海道の要衝であり、南は海に面し、三方を山(つか丘陵)に囲まれており、その丘陵地帯の向こうに行くには切通しを抜けなければならない、いわゆる天然の要害だったのです。また、その鎌倉は、源頼義が鶴ヶ岡八幡宮を建立した源氏ゆかりの地でもありました。

1180(治承 4)年の富士川の戦いのあと、頼朝は、自分と主従関係を結んだ武士である御家人を統制する機関である侍所を設けました。

次いで、頼朝は1184(元暦元)年に公文所と問注所を開きました。公文所はのちに整備されて政所と改称され、一般の政務や財政事務を管掌しました。また問注所は裁判事務を司る機関で、その長官は執事とよばれ、初代執事には今日ご紹介している三善康信が京都から招かれて任ぜられました。

この問注所開設に先立って、三善康信は頼朝から鎌倉に呼び出され、直々に鎌倉で政務を手伝うよう依頼され、そうしてこの要職を任されたのでした。

康信は頼朝の死後も、鎌倉幕府を宿老としてささえ、第2代将軍源頼家のとき行われた「十三人の合議制」にも文官の代表の一人として加わっています。

その三善康信は1221(承久 3)年の今日、亡くなっています。この年は5月に後鳥羽上皇が北条義時を追討しようと決起して失敗した承久の乱が起こった年でもありました。
 
  
3.出来事
今回、ご紹介するのは、
 1821年 8月 9日:江戸両国にラクダがやってきました。(旧暦)
いう出来事です。
申し訳ございません。受験日本史には関係が無いのですが、面白い題材があったのでご紹介します。

1821(文政 4)年の今日、江戸の西両国広小路にラクダの見世物小屋が出来ました。このラクダはオランダ人がペルシャから連れてきた牡(8歳)牝(7歳)2頭のヒトコブラクダでした。

この見世物の木戸銭は32文で、現在の貨幣価値に換算すると800円位でしょう。多い時は5,000人/日も来場者があるほど盛況で、一日に百里(400km)もあるき、千五百均(900kg)もの荷物を運べる!といって大評判だったそうです。

見世物小屋では、唐人姿の口上人がラクダの説明をひと通りしたあと、太鼓・横笛、カネなどで賑やかにはやし立てて場内をラクダが一周…それだけでしたが、場内は拍手喝采だったそうです。

舶来の珍獣ということもあり、各地を巡業したのですが、後年北国で寒さのため死んでしまったそうです。

この二頭のラクダはとても仲が良かったので、夫婦が仲良く連れ添って歩く様を「らくだ」と言ったり、ラクダを描いた瓦版を子供に見せると疱瘡が軽くなるとか、瓦版が雷除けにもなうとか、胸や肝臓の患いにはラクダの小便が特効薬であるとか様々な風俗が生まれたそうです。

ネット上に上げられているラクダの浮世絵がありました。→ラクダの浮世絵



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【編集後記】
お誕生日おめでとう篇でご紹介した黒田清輝の「湖畔」という作品の女性は、後年黒田夫人となる金田種子女史です。避暑で訪れた箱根の芦ノ湖の岩に腰掛ける23歳の若々しい女性がイイ感じで描かれています。

黒田清輝などの作風の画家たちは外光派(紫派)とよばれていることをBlogに書きましたが、
外光派とは、日光に照らし出された自然の色彩を、直接描写しようとして、 戸外で制作する画派のことを言うそうです。
また紫派は、その表現において陰影部分に紫を用いたことからそうよばれるそうです。