今日 6月23日はどんな日でしょうか。
受験日本史に関わる出来事をチラ見してみましょう。
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1.誕生日おめでとう篇
1746年:江戸時代の国学者、塙保己一(はなわほきいち)。(グレゴリオ暦)
wikiに上げられている画像へのリンクです→塙保己一
元禄期に始まった「万葉集」などの古典研究は、18世紀後半になると、「古事記」や「日本書紀」などの歴史書の研究へと進みます。それらの古典の中に日本古来の精神、古道を明らかにしようとする国学が、このように発展していったのです。
今日ご紹介すう塙保己一は、5歳(wikiでは7歳。修験者の勧めで年齢を2歳引いているので、どちらも正しいと考えます。)で失明しています。江戸に出て賀茂真淵らに国学を学びます。字を読むことが出来ないので、その異常なほどに凄い記憶力によって、人が音読したものを暗記して学問をすすめたそうです。そして、努力の末、和漢の学に通暁したそうです。
1783(天明 3)年には、検校(けんぎょう)の職に就きます。検校とは、盲人の官職で最高位のものです。1793(寛政 5)年には幕府の援助のもとに和学講談所を創立します。保己一は、ここで古典の様々な史料を蒐集・分類した「群書類従」、「史料」、「武家名目抄」等を編纂したり、また「六国史」「二十一代集」の校訂などを行いました。
この業績は、明治以降の国史・国文研究に大きな影響を及ぼし、特に「史料」は後の「大日本史料」編纂事業の先駆を成したといえます。
2.お悔やみ篇
1908年:明治時代の小説家、詩人、国木田独歩(くにきだどっぽ)。満36歳没。(旧暦)
wikiに上げられている画像へのリンクです→国木田独歩
国木田独歩が物書きとして世の中から最初に注目されたのは、1894(明治27)年、日清戦争にあたり、徳富蘇峰の「国民新聞」の従軍記者となり、弟である収二に宛てた文体で綴った「愛弟通信」によってです。1898(明治31)年には散文詩的短篇集「武蔵野」に出ます。その後、次第に社会から取り残された人々の性格描写を中心として独自の作風を築き、晩年には社会批判の方向を示し、また自然主義への道を開いたとされています。
代表作には「武蔵野」・「牛肉と馬鈴薯」・「運命論者」・「欺かざるの記」などがあります。
3.出来事篇
今回、ご紹介するのは、
1948年 6月23日:昭和電工事件により日野原社長が逮捕されました。(グレゴリオ暦)
いう出来事です。
1948(昭和23)年に今日、昭和電工社長の日野原節三が商工省課長らへの贈収賄容疑で逮捕・留置されました。日野原社長は商工省・経済安定本部・復興金融公庫に働きかけて30億円の融資をうけ、その見返りに政・官界に賄賂をばらまき、自らも私腹を肥やしていたのです。
当時副総理の西尾末広を含む政府要人が次々と逮捕され、成立して8ヶ月余りの芦田内閣は総辞職に追い込まれました。この昭和電工事件では、事情聴取を受けた者は約2,000人、逮捕者は64人(現職国会議員10人)に及んだ空前の疑獄事件でした。また、その裁判は1958(昭和33)年まで続きましたが、閣僚クラスは全員無罪でした。
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【編集後記】
今日ご紹介した昭和電工事件で逮捕された副総理西尾末広さんにはとても有名な言葉があります。1938年の衆議院本会議での国家総動員法の審議の時に、当時の近衛文麿首相に以下のエールを送ったのです。
「ヒトラーのごとく、ムッソリーニのごとく、あるいはスターリンのごとく、確信に満ちた指導者たれ」
ところが、このスターリン云々をいう部分が問題視され、なんと衆議院で議員を除名されてしまうのです。チョト可哀想。
もう一つ、昭和電工事件に絡んでの話題です。1976(昭和51)年に第67代内閣総理大臣に就任する福田赳夫氏は、当時大蔵官僚で、昭和電工事件の際は大蔵主計局長として賄賂を10万円受け取って逮捕されています。