歴史的に形成された「同一性意識」以外に国民国家を存立せしめる基盤となるのは「社会契約説」である。

バラバラの個人が、便宜上契約を結び、政府を作った。この人間観、世界観が、法の支配、自由、平等など、近代以後の政治思想の根幹となっている。


社会契約説は、ある政府の存在(または主権の行使)に理論的な裏づけを与える役割を果たしている。それは、ホッブズ・ルソー・ロックがいずれも政府の正当性を論点に議論を進めていったことからもわかる。


当然、社会契約説は完全なフィクションなので、ある国の領域、国民の範囲がなぜそうなっているかを、社会契約論からは一切説明することができない。なぜ人類は社会契約により人類全体で一つの国家を作らなかったのか。それは、歴史や慣習や文化から完全に独立した個人などどこにも存在しないためであり、そもそも不可能なことだからである。


社会契約説と自然法思想は、王による圧制の時代には社会を大きく動かす意味を持ったが、日本では、人権、立憲主義、民主主義など、社会契約説から導かれる観念が完全に定着してしまっている。


国家は歴史的に形成された「同一性意識」と「社会契約説」を根拠として存在する。この二つはもともとはまったく別なものだが、今では強固に結びついている。国家とは、この二つを根源とする政治的想像力の産物であり、常にわれわれの内部にあるものなのである。