【中学受験の初告白】容赦ない言葉に崩れかけた母の心と、12歳の覚悟に救われた日々
〜とある個別指導塾との葛藤と苦悩の記録
今日という日は、現代に生きる私たち日本人が忘れてはいけない4つの日のうちの一つ、8月15日は先の大戦(太平洋戦争)の終戦記念日です。
改めて戦争の悲惨さを憎み、不戦の誓いを胸に刻むと共に、戦争の悲惨をこの令和の時代にも語り続けていく必要に駆られています。
私の世代でも、戦争どころか、貧しかった日本の戦後を知らないのですから。
そして、同じくこの15日には、浜学園にて灘中日本一模試(当時の名称)が開催されていました。
小5の1月から始まる3回目の灘中模試にて、自分の実力の位置を確認するという、大切な模試でした。
ただ、この時も直前の公開テストで集中しすぎて燃料切れだったのか、ミスを起こしてしまいまたまたC判定でした。
1回目、2回目とそれぞれの課題を克服すべく演出を重ねてきたはずの…C判定。
私には、なかなかに厳しい判定だったと思います。
ただ、その結果を踏まえてのどのような厳しい言葉を受け止めようと思っていたはずなのに、予想外に、理不尽や無責任な言葉が飛んできたことで、
かなり精神的に崩れかけた記憶があります。
ただ、その時も今も、とにかく鋼鉄のような強い心で色々と立ち向かっていきたいと感じる日でもあります。
今回は、当時の記憶を掘り起こし、受験生の母として直面した深い心の葛藤、そして今だからこそ振り返られる「塾選びの苦悩と息子の驚くべき成長」を赤裸々に綴りたいと思います。
第1章
夏から秋へ――12歳に突きつけられる過酷な現実
小6の夏休み前、浜学園西宮本部では、最難関校の特訓を受ける保護者を対象とした説明会がありました。
当時の橋本学園長先生をはじめとする先生方から、重みのある注意喚起がありました。
国語の藤本先生、算数の岡田先生など、深いお話が多かった記憶です。
特に最初に、橋本学園長先生の挨拶より、以下のようなお話がありました。
「夏休みは誰もが勉強量を確保できるため、成績水準を維持しやすいものです。しかし、二学期が始まって『朝は小学校、夕方からは塾、夜や隙間時間で膨大な課題演習』という過酷な生活になった時、同じような感じでは、この成績を保ち続けることは極めて困難です。
つまり、魔物は、夏休みだけではなく、この二学期にも住んでいます。限られた時間をどう使い、押し寄せるプレッシャーを跳ね返せるか。ここで合否の分かれ目が訪れます」
中受未経験だった当時の私は、まだまだどこか他人事で、「大変なんだろうな」とふわっとしか受け止めていませんでした。
この時の私は、これがどれだけの深い落とし穴なのか?ということを知らなかったのです。
そもそも、
クラス全員が受験生である高校受験(15歳)でもなく、
心身共に大人に近づいた大学受験(18歳)でもなく、
周りの友達が放課後に無邪気に遊んでいるのを横目に、毎日塾に向かうのです。
そんな孤独な環境の中で、わずか12歳の子どもがこの過酷なスケジュールをやり切るということが、どれほど残酷なものかを、まだこの時には知る由もありませんでした。
その試練を、秋を迎えた私たちが、次々と体験することになるのですから、やはり中学受験は、なかなかに厳しいものであります。
第2章
弱点克服のための選択――梅田の個別指導「S塾」と教材の魔力
小5の1月のことでした。
いよいよ君たちは受験生になるのだ!と、初めて受けた同日灘中模試の結果は厳しい「C判定」でした。
ただ実は、息子本人は、側から見ていても明らかに落ち込む様子が見られました。
理由は明白でした。得意だった、唯一の武器と自他共に認めていたはずの算数ですら手も足も出ず、見たこともない点数を突きつけられたからです。
どこからかこんな声が聞こえてきました。
「このままでは絶対に届かない」
焦る私が、息子の算数を本物の武器にしたいという気持ちで訪ねたのが、大阪梅田の芝田交差点近くの雑居ビル5階にあった個別指導「S塾」でした。
ここは、元浜学園のトップクラスを受け持つ講師で、灘中高出身のN先生が、完全にひとりで運営していた個別指導塾でした。
自身の経験もあり、灘中の入試の予想問題などを得意としていて、手元には30年分以上の灘中過去問を単元・分野別に再構成した独自の演習冊子がありました。
戸棚に並んでいたあの灘中の過去問題の冊子を見た時、「もしかしたら、この圧倒的な量の問題演習を全部やり切れば、息子でも真の算数の実力がつくのではないか?」と期待をかけたのです。
小6の5月になりました。
GWの灘中模試は、やはりC判定でした。
算数には成長の跡が見えたことで、弱点だった理科の演習をこの個別指導塾の先生に託しました。
理科の冊子を購入する特訓授業を追加しました。
しかし、ここから明らかに私の心はすり減っていくのです。
その一つの理由は、私自身が子どもの勉強の中身に直接関与していないことで、
「ここまで全くできなかった問題が、今はできるようになった」とか、
「これまで全く理解に及ばなかった問題も、あと一歩で理解できそう」
などという学習での前進の感覚が掴めず、
安心できる材料がどこにもなかったからでした。
親にとっては、そうでなくても不安で夜も眠れなくなる時期です。
それにもかかわらず、S塾のN先生との面談で返ってくるのは、息子の「ダメな部分」「足りない部分」ばかりでした。
即ち、弱点や不得意ばかりを指摘する、心のない冷たい言葉オンリーだったのです。
夏休みが過ぎて、9月の秋が進むにつれて、親である私の不安は煽られ、その精神は加速度的に疲弊していきました。
それでも思い切って辞める決断ができなかったのは、あの提示される冊子教材があまりに優れていたと感じたからです。
あと、タイムラグはあるにせよ、強制的に演習を重ねることが息子の実力向上に直結している実感だけはあったからでした。
第3章
秋の季節に、突き刺さる無神経な言葉と、母を打ちのめした絶望
夏を越え、秋風が吹き始める頃になりました。
本来ならばそろそろ爽やかな季節です。
しかし、私の不安に追い打ちをかけるように容赦ない言葉が降りかかってきました。
まずは、夏休み前から燻り続けていた、小学校の担任教師からの発言です。
「〇〇くんは、学校ではいつもボーッとしています。聞くところによると夜遅くまで塾に行っているそうですね。ただ、こんな状態で試験に受かった子を僕は見たことがありません。こういう子どもさんは、いつも受験に失敗していました。そんな落ちる子をたくさん見てきた私の経験から言うと、〇〇くんは思い切った塾はやめた方がいいです」
ナニコレ…
ナンデコンナコトヲワタシニムカッテイッテイルノカ?
結局のところ、担任教師との個人面談恐怖症は、かなり深刻なところまで深く入り込み、実は卒業までかなり深刻な状況でした。
さらに、違和感はあったものの、すがる気持ちで頼りにしていたはずのS塾のN先生からも、サラリと立ち直れないほどの冷酷な一言を告げられます。
それは以下のような言葉でした。
「3回目の灘中模試まで3回ともC判定で、実際に受かった子を見た記憶はありませんね」
そしてさらに、こんな私に追い打ちをかけるような、志望校別特訓のクラス落ちの通告でした。
その通知の手紙を見ながら、私は、冷たく固まった心の傷口がパカリた開いて、そこからダラダラと血が流れ続ける感覚が続いていました。
痛い…でもなく、
なんか、あまりに一気に落ち込んでいて、全く状況がわからない…
でもいくら鈍感でも確実に弱っていくことを肌感覚で感じ続けていたのです。
塾選びでの基準にて、講師との相性は最悪で、私の選択ミスだったのではないかという激しい後悔と自責の念が大きくなっていきました。
しかも、先生方や周囲から浴びせられる否定的な言葉の刃は、更に傷口を大きく開いていきます。
血は、止まることなく流れ続けるしかない状況でした。
まさに、
光の差す出口に向かって登ろうとしては滑り落ちる、蟻地獄のような暗闇の中で、私の心は限界を迎えていました。
受験が終わった後ですら、無条件で「感謝と御礼」の気持ちになれなかったほど、この講師との相性の悪さからくる心の傷と疲弊は深かったのです。
第4章
12歳の覚悟―「感情を捨て、必要なことだけに向き合う」
耐えかねた私は、ある時息子に向かって、正直な胸の内を打ち明けたのです。
母「私としては、正直言ってS塾に通うストレスが大きすぎる。N先生との相性も本当に悪い。でも、クラスを2組に戻すために何が必要かを考えた時、別の個別指導を探して移籍するか、このままN先生のもとで続けるか……あなたの意見が聞きたい」
息子から返ってきたのは、迷いのない、極めてシンプルで本質的な言葉でした。
息子「移籍は必要ない。このプリントなどの演習を重ねることで実力が付く。このままやるしかない」
かつて師匠と仰いだ大好きな朝倉先生の授業のように「学ぶ楽しさ」を感じる余裕など、もはや今の状況にはない様子です。
灘中合格という結果を掴み取るためだけに、自分に必要な演習だけを抽出し、それ以外の余計な感情はすべて捨て去る…
―12歳の息子は、完全に覚悟を決めていたのです。
息子の分析は極めて冷静でした。
「30年前の灘の算数は驚くほど基礎的だったけど、ある時期から急激に難しくなっている。そして最近の問題はエグい。でも、時系列で全部解いていくとゆっくりだけどパターンや傾向が見えてくる。
繰り返しやれば絶対にできるようになる」
周りの大人の心ない言葉にも動じず、自分の置かれた環境から合格に必要な要素だけを貪欲に吸収していく息子の姿がそこにあったのです。
その覚悟と強さに、私は深い衝撃と感動を覚えました。
「12歳の子どもがここまで腹を括って戦っているのに、母親の私が弱音を吐いてどうするのか」と、
自分の心の弱さに強烈な喝を入れ、奮い立たせることができたのです。
親としての塾選びや講師との相性という点では、完全に失敗だったかもしれません。
しかし、どんな環境であろうとも迷うことなく、与えられた武器を使い倒して自らの道を切り拓いた息子の歩みは、何一つ間違っていなかったのです。
結局のところ、息子の姿を見ていて痛感したのは、受験勉強において何よりも大切なのは「冷静さを失わず、自分の置かれた現在地を客観的に把握できるかどうか」という点でした。
感情に流されることなく現実を直視し、その冷静さを保ちながら、情熱を絶やさずに演習問題を解き続け、解法を身体の芯にまで染み込ませていくこと。
状況を冷徹に見つめる「客観的な冷静さ」と、
迷いなくペンを動かし続ける「継続の力」。
その両輪が揃って初めて、過酷な勝負を乗り越える道が開けるのだと感じています。
大人でさえ見失いがちなこの境地に、わずか12歳の小6男子が淡々と立ち向かっていたこと、
私たちはそれを、「覚悟」と呼ぶのかもしれません。
ここまで読んでくださり、
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