20代のとき、瞬間お付き合いがあった男性から村上春樹の「ノルウェイの森」をプレゼントされて読んだ。
上下巻で赤と緑のおしゃれな装丁で、一応通して読んだのだけど、大して面白いとも思わず、世に多い゛アンチ村上春樹”が持つ感想を私も抱いたのだった。いわゆる反感、というやつですね。
今ならわかる。
反感は告白したくない嫉妬だ。
お洒落なバー、上品な服装を身に付けた女性、車はジャガー。育ちが良く、クラシック音楽の知識がある。そういう舞台に、チッ、と思ったんだろう。ずっと想い続ける恋人も、若くして自ら命を絶った才能ある友人もいなかったし、みんなで共有できる社会体験としての傷も持っていなかった。そういう舞台装置に慣れていなかった私は、その舞台に繰り広げられる物語りを理解するところまで到達できなかった。
現実と似ていながら現実ではなく、異世界とも繋がる可能性がある物語りの舞台、という設定を了解していなかった、ともいえる。
身近にあるのに、手が届かない世界。その頃も(今もだけど)自分の現実を泥臭く生きていた私は、村上春樹が描く “舞台”にうろたえ、反感を持ったのだ。
物語りには自分で認めたくないコンプレックスを表面化させて傷を具象化させ癒しに至る、という役割がある。村上春樹を読むことによってそれを体得することができるのではないかな。
年齢を重ねて少々のコンプレックスでは動じなくなってしまった私は、今そう思う。
今年出版された 「一人称単数」、“村上春樹” のエッセンスがギュッと詰まった短編が8編。
村上春樹を読んでコンプレックスを刺激される人は是非、その感覚を大事にして、なぜなんだろう!? と考えながら読むのもありかと思います。

