国家の存続があって、国民の安全があるはずですが、個人の意向が国家に先んじている傾向にありますね。民権があれば国権があるはずです。いずれもがバランスよく存在するといいですね。このバランスとは、国家の置かれた状況によって配分の度合いは均等というわけにはいきません。国家緊急の時は国権の優越がいわれるはずです。この場合、国民の安寧を求めた国権の重視と、国民の支持があるといいですね。こんな思いでさっこんの防衛を見ていると変に思います。必要ならば説得して空母の必要を言い、いつまでも先の大戦にしがみつかないことです。自己の利益を追求する自己主張でなければ、判断はだいぶ公平になると思います。沖縄戦の重要ポストの参謀は戦闘に負けるように軍を指導した者がいたといいます。自分が生き延びるためにです。物資不足の時に軍の交換の中には、快適な生活の為に物資を使ったといいます。こういう手合いはいつの時代もいますが、そこに焦点を当てた判断は誤りを導きます。沖縄は米軍施設が集中しています。そのための被害もあります。これは何としても国家として考えなければならないことです。一方地政学的に沖縄は軍が必要とする地です。国家防衛に対する誇りを持ってください。報道も一面をすべてだと いう姿勢を改めねばなりません。あるから報道するというのでは信頼をおけません。
今日9月24日は大西郷の冥日でした。岐阜県揖斐川町の広木忠信の墓前でのお祭りを仲間と行ってきました。300年も前の人です。著名な業績はありません。学問の筋を明確にした人物として重要視します。江戸時代、山崎闇斎の弟子の若林強斎の弟子で、将来を託すに値すると評価を得ましたが、46才で帰幽となりました。江戸時代、幕府が絶対の時にね日本の中心は天皇、朝廷を唱え、その学問を推し進めました。これを崎門学といい、幕府の弾圧を受けながら明治維新の理論的原動力になりました。水戸の水戸学、国学と共に重要な思想体系の柱でした。忠信は時を見つけて病床の親を介護をする傍ら、先生である強斎を訪ねて学びました。先生に私淑することは次のことでもわかります。先生風邪による鼻水を拭くに紙がない、忠信は自らの紙を先生に差し出し、使い捨ての紙を干して自分が使用したといいます。清潔不潔を超えて先生 に私淑するとはこういうことだということを示した一面です。
ドイツ夫人と話す機会があった。相手のことを思って発言行動をする日本人は好きだという。これは一個人でなくドイツ人全体としてだそうだ。ただ、それは日本列島という島の中ならば、つまり日本人同士ならばという条件が付いた。ドイツは周りが陸続きだからそのようにはできない。したくてもできないということだった。此処には明らかに国が意識されている。アメリカ人は嫌いという理由はアメリカ第一主義というアメリカ人の個人主義にあるともいう。このように一国民が世界全体を俯瞰して一定の認識を共有している国には強みがある。日本では保守と革命(過去の日本を否定するまでは分るとして、その後どうするのかわからない群れ)が分立してなんとなく成立という状況は危険であると思っています。
自由民主党の総裁選挙が話題になってきました。焦点は憲法改正です。現行憲法は占領下で日本人の自由がない状態で制定されました。占領政策が大きく反映しています。わずかな改正に大騒動しているところに日本の現実の悲しみがあります。大日本帝国憲法に戻るという意見がありました。国会開設の詔勅より十余年かけて大日本帝国憲法はできました。その過程。政府はフランス人ヘルマンロエスレルを招聘し、彼に革命のない日本にあった憲法への助言を求めました。そのために日本を理解させる図書を作成し、これを与えました。ところが、この図書は当事者の伊藤博文によって処分されいま残っていません。伊藤は何故このようなことをしたのか。この部分がわからないと、大日本帝国憲法の本質がわからないのだと思っています。
8/15日はお盆です。先祖代々の墓とか〇〇家の墓という墓碑の表現は本来仏教にあったのでしょうか。仏教が日本に伝来して日本の信仰の在り方を取り込んだのでしょうか。死者は49日かかかってお釈迦様の下に弟子となるための旅をしますから棺桶に手っ甲、脚絆、藁草履を入れ、三途の川の渡し賃も入れるのです。この霊が子孫のお迎えするというのですが、こんな行事他の仏教国にあるのですか。日本の信仰は死者は体から抜け出て緑深い森に棲む山の神となります。、毎年正月になると祖先である霊は子孫を守るために里に降りてきます。子孫は目印に緑の門松を立てて迎え、家の中の一番の場所に鏡餅を供えてそこに依って頂きねぎらいます。田の神になるのです。従って一月は睦月と言って稲の種を水に浸す月、水無月は水がない月だから田に水を満たす田満月、いねが茎に実を含むから含み月、これが文月という具合に、にほんの月は稲の生長を言っています。十月は収穫の月ですから守ってくれた祖先に報告をするお祭りがあります。神無月といって出雲に神様が出向いて留守だというのとカミナシ月と言ってお米を口に含んで唾液を混ぜてカミナシてでんぷん質をアルコールに変えて酒にする。それを神様に供えて味わっていただき山に帰ってもらうのです。仏教は布教のために日本の信仰を取り込んでいたのですね。こんなことを知ると弥生時代の日本人の精神構造の素晴らしさを感じます。そういえば薬師如来様なんかは医学の仏さまです。薬の使用と共に教えを語り、悩める人の信頼を得たわけです。オウムは悪賢くやっていましたね。日本人の神はイエスと釈迦ていう個人ではなく、自分と直接血縁関係のある近しい祖父母、曾祖父と遡り祖先にたどり着きます。その霊は皇室の祖先である伊勢神宮の天照大神とつながっているのですから、日本人の一体感はここに根差しているということになります。
学校で新聞を教材にした授業が言われます。テーマを選んでどのように仕組むのか、教師の力量が正否をわけると思います。多忙で教材研究もままならないと広報されている先生の負担はどうなるのでしょうか。また、この種の報道に接すると教育が価値体系の伝達から社会生活への適応に中心が移ってしまったように思います。1,000年以上積み重ねた価値はどこへ行ってしまうのでしょうか。最もおそれるのは自分を信じ、自分で判断するという個人主義は生まれながらの素質を伸ばすところに特色があるのですが、裏には独断、独善がありこれによって失敗する例をよく目にします。明治以来150年たってもいまだに民主主義を体得できない日本人には先人の成果を学んで自分を矯めるとより優れた人物が生まれると思うのですが。
昨日解説しました。今日は学び方です。「愚者は体験にまなび、賢者は歴史に学ぶ」という言葉があります。先生が生徒に「今やめたらね将来ひまるよ」といって継続を励ます場面があります。このとき、先生は愚者と賢者のどちらに立っているのでしょうか。多くはささやかな自分の大権に根拠を置いている場合が多いのです。大切なことでありますが、ささやかな自己体験から割り出した結論と、長い歴史を通して消えない結論なのかが解決の方向を変えてしまいす。特に国家的な大きな課題の場合は重要なことと思います。
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