*「おむすび」と「おにぎり」
「他人が握ったおにぎりが食べられないひとが増加している。」いう話を多く聞くようになりました。特に、そうしたことを公言する芸能人がいるようです。
ですが、「おにぎり」は「氣持ちがこもっていない握り飯」のことですので、乱暴に言えば食べられなくても仕方がないことだと考えます。
対して、「おむすび」は作る方の魂がこめられ、「万物の良縁をむすぶ力がある」ものですので、これを食べられない方は不幸です。
▼ことばの力
「おむすび」と「おにぎり」の語源は曖昧模糊として伝えられています。形状によるものや、東日本と西日本との違いなど様々ですが、言葉(≒オン)には力があります。まずは直感的に、どちらの言葉にあたたかさや人間を感じるか、先入観に囚われずに考えてみてください。
人は自分が発する言葉(広義では文字を含む)で、気がつかないうちに意識が変化していきます。同時に、自分が使う言葉は、それを聞く多くの人に同様の影響を与えます。言葉は生きていますし、言葉は使う人間に返ってきます。
また、言葉の語源や歴史的な解釈には、常に嘘が隠れています。嘘を喧伝する側が、「真逆の嘘」を常套手段で用いることと同様に、地域や形状による違いが逆に伝えられていたり、同時に嘘の歴史を塗り込めようとするものもあります。
▼おむすびの力
病気などで食事が喉に通らない方がいらっしゃったりする場合、お茶碗からのご飯が食べられなくても、家族(家族同様のお付き合いの方を含む)が作った「おむすび」は食べられることがありますし、食べることで病状が回復していく人もいらっしゃいます。
これは多くの方が目の前で観た事実のひとつに過ぎません。書籍などで執筆されている方もいらっしゃいます。人が真心をこめて作ったおむすびには、やはり大きな力があるのです。
これを、機械握りで化学物質が主成分の「おにぎり」を食べさせるとどうなるでしょうか。少なくとも、病人の方にとって、良い結果を得ることは皆無です。
▼与えられる情報に事実は少ない
少し調べるのが容易ではないかも知れませんが、おむすびの正しい歴史と語源を知ることだけでも、こうした力がある食べ物が、現在の社会にあっては困る方々がいることに気付きます。
そうした方々は、あらゆる分野で自分たちとって都合が良い嘘を流し、私たちの意識を誘導し、支配しようとします。現在では、与えられる情報の大半がこうした情報で構成されています。そして、この傾向は益々強くなる一方です。
共通するのは、家族や共同体、地域など、様々な人の集まりを対立させ、分断し、個人として孤立させ、一定の方向に取り込もうとする動きです。こうしたことを効率的に進めていくためには、人々を「お結び」の状態にさせず、「鬼切り」の状態にしておくことが都合が良いのです。
ゴールデン・ウィークも後半戦に入りましたが、お出かけの際には、ぜひ楽しいことをたくさん頭に思い描いて「おむすび」を作り、笑顔でいただきましょう。きっと思い出に残る、素晴らしい時間を過ごせると思います。
皆さまにとって、佳き連休となりますよう。
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石垣稔
Facebookより転載
山崎