東日本復興支援あおぞらプロジェクトとは | 復興支援あおぞらプロジェクトのブログ

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復興支援あおぞらプロジェクトは“必要とされるものを必要とされるところにお届けする” ただそれだけです。

“必要とされるものを必要とされるところにお届けする” ただそれだけです。

何かを大前提に構えるのではなく、物、お金、人手、エンターテイメントなど
何でも我々の出来る事で支援して行くプロジェクトです。

被災者のためにできることをするという志のもと無償で活動している
プロジェクトです。


大きな支援団体やプロジェクトは一年が経って、ほぼ物資の支援等を終結
しているところがあります。
実際、家電製品や最低限の生活用品は被災地に届いています。
しかし乍ら、メディアにあまり紹介されていない地域や仮設住宅などでは
まだ不足している物があり物資の支援を必要とされている方も
いらっしゃいます。
仮設住宅はおろか未だ避難所生活をされている方もおられるのです。
また商店も復活し物はあるけれど仕事を失い収入がなく備品を買う事が困難な
方も未だ大勢いらっしゃいます。


‘桜の花をあしらった手鏡をふとのぞき込む’そんな‘心のゆとり’も必要です。


支援する方も一人では何をやっていいか、どうすれば良いのか分からない、
という声をまだ多く聞きます。

支援をする方もされる方もそんな方達のために我々が橋渡しとなり
細かい支援を長きにわたり続けて行こうと思います。


企業でも、NPO団体でもなく、あくまでも被災者支援という目的だけを共有する
プロジェクトであるため、個人でもどなたでも参加して頂けます。
また必要とあらば他のボランティア団体と連携を組んでの活動もします。


【東日本復興支援あおぞらプロジェクト】では今後、被災者の自立に向かっての
支援活動を長期間に渡ってする予定です。
自立支援のためのアイデアがあればご連絡をください。


※【経緯】も是非お読みください。

【経緯】

2010年4月初頭“KOSEI&RYU”の男性デュオが『日本列島縦断弾き語りの旅』と
称してヒッチハイクと徒歩のみでギターを片手に歌い日本を縦断する事から
始まりました。

旅中、各県の老人ホームや児童養護施設を訪問し慰問ライブを行い、
大変喜ばれ新聞・ラジオにもたくさん取り上げていただきました。
その旅中に東北の方々にも大変お世話になりました。


四国から広島に渡った時に東日本大震災が起きました。

こんな事はしていられない、お世話になった東北の方へ恩返しをしたい、
との一心で最初は3人での活動が始まりました。


活動は震災翌日の3月12日から始まりました。四条河原町周辺で歌いながらの
募金活動からでした。

代表の大森が阪神大震災の経験からまずは別のエリアでの活動が大事と判断、
まずは京都に集合しそこから西日本を中心に様々な活動を続けました。
(詳細は活動記録をご覧下さい)

無名な私達には募金活動も容易ではありませんでした。
「おまえら、本気でやってんのか !! 」「100円で何かうまいもんでも食え !! 」
など色々言われストリートなどで歌うと警察に止められ、
音楽で何が救えるのだろうと考えもしました。


7月に音楽での支援活動と炊出しや、支援金、支援物資を直接届けるために
東北各県へ入りました。


宮城県東松島の東名に入った時の事です。その日は雨でした。
先に入った大きな避難所には支援物資が山積みにされていたのに東名には
これといった避難所すらなく、個人のお宅に少量集められていただけでした。
それが『この国に生まれて』を歌って下さっている永松さんのご実家でした。
骨組みだけの1階でそれでも近所の方のために炊出しをしていました。
永松さんもご不幸があったのですが、それでも頑張っている姿に涙しました。


雨の中、じっと私達の歌を聴いてくれている女の子がいました。


そこからの出会いがまさしく“つながり”でした。
永松さんの庭先のテントで歌っていたら
となりのお宅から「うちでも歌ってもらえませんか ! 」と声がかかりました。
「喜んで !! 」とお邪魔したお宅がなんと!!

‘老人ホームすみちゃんの家’だったのです。


そして私達の歌で、昏眠状態だったおばあさんが、
突然目を開けて声を発したのです。


その時、あらためて音楽の力をひしひしと感じました。


そして、そのあと名取へ入りました。愕然としました。
そこには、畑なのか船着き場なのか分からないくらい、幾隻もの船があちこちに
打ち上げられていたのです。
そこのあるお宅に歌の録音でお邪魔したのですが、これが被災されたところ?
と疑うほど私達に手料理を振る舞って下さったのです。


そこで即席のライブをしました。
歌ったり踊ったり子供達やおじいさん、おばあさんの笑い声が絶えませんでした。


こんな目に合っても力強く生きようとしているのに私達は何を無力だとか
ほざいているのか !と思いました。

そこから、益々の支援活動を続けて行こうと決心をしました。


そのためには我々だけでは限りがありました。また被災地から直接ご要望の声が
たくさん寄せられ我々だけではその声に添うことが出来ない、
この活動を支援して下さる皆さんの協力が必要となりました。

最初は知り合いから始まったので口答で説明するだけで信用して頂き
ご協力頂いたのですがその内に多方面の方に説明をしなければならなくなり、
また方々からの協力者も増えたので総括名称や広報が必要となりました。

そこで「空も海も心にも、もう一度あおぞらを」という気持ちを込めて


【東日本復興支援あおぞらプロジェクト】と名付けました。


被災者支援という目的からぶれることなく、様々な形で無償の支援活動を
行ってきました。
これまでも共感して下さった多くの方のご協力により支えられてきましたが、
これからも益々の支援が必要となります。

どうぞ引き続き長いご支援をよろしくお願い申し上げます。

                                代表  大森有里子