バブル経済崩壊後の1992年~1993年、「どんぶり物」の飲食店が流行しました。
「安い、早い」が人気の理由でした。牛丼などのチェーン店が一気に拡大しました。
牛丼チェーン「吉野家」が好調
この時期に飛躍を遂げたのが、牛丼チェーン最大手の吉野家です。
運営会社「吉野家ディー・アンド・シー」の売上高は、1993年2月期に前期比15%増となりました。
1年前にすでにあった店だけで集計しても1割近い伸びでした。売り上げ増は店を増やしたためだけではなかったのです。
その人気の広がりぶりに、消費低迷に直撃されている外食産業から、どんぶり店チェーンに乗り出す企業が相次ぎました。
「神戸らんぷ亭」がチェーン展開をスタート
ダイエー系の「蔵椀(神戸らんぷ亭)」は1993年2月、牛丼店「神戸らんぷ亭」のチェーン展開を始めました。
390円の「適盛」をベースに、やや大盛りの「得盛」490円、肉がかなり多い「得々盛」が640円。
いずれも、吉野家の同クラスの牛丼を10円ずつ下回るようにしました。
ダイエーが輸入している米国カンザス州産牛肉の一部を材料に使い、コストを安くしました。
まず、手始めに東京で恵比寿、早稲田などに順次出店しました。
日本国内で当時約380店を展開していたセゾングループの吉野家を追撃する構えを見せました。
「牛丼」でもダイエーとセゾンがぶつかる格好となりました。
明星がどんぶり専門店「どんぶり民芸」
1993年1月に東京・高田馬場に開店したどんぶり専門店「どんぶり民芸」は、明星食品の子会社、明星外食事業が経営していました。
天丼450円(うどん付き520円)、マーボ豆腐丼580円(うどん付き680円)などが代表メニューで、キャッチフレーズは「安い!早い!うまい!」。
海鮮どんぶり店「ザ・どん」
ダスキンと日本水産は、共同で海鮮どんぶり店「ザ・どん」のチェーン展開を1991年5月に始めました。
関西、名古屋、東京に13店となり、鉄火丼580円、いくら丼980円などで月に1店平均で1000万円売っていました。
5年で500店にする強気の計画を打ち出していました。
和風回帰
受けて立つ吉野家は余裕をみせていました。
吉野家の広報室は当時、以下のようなコメントを残しています。
「どんぶり人気のような和風回帰ムードは、バブル膨張の時代から高まっていました。
不況で、値段の割にボリュームのあるどんぶり物にいっそう人気が出たのではないでしょうか。
ダイエーは手ごわいですが、新規参入が増えれば牛丼人気はさらに底上げされるでしょう」
酒井剛志