酒井剛志:「大きな政府」の歴史

世界大恐慌の波

1929年(昭和4年)10月のニューヨーク証券取引所の株式大暴落に端を発した世界大恐慌の波は、金本位制の維持を不可能にし、1931年(昭和6年)にイギリスと日本が、1933年(昭和8年)にアメリカが金輸出を禁止し、ついに世界は管理通貨時代に入りました。

米ルーズベルト大統領のニューディール

この管理通貨を利用して、アメリカのルーズベルト大統領は失業救済や福祉対策を図るニューディール政策を実施し、いわゆる「大きな政府」への道に踏み出しました。

大統領を支える政治勢力は「リベラル」といわれるインテリや労働組合指導者であり、日本でいう「革新」派でした。

政府による規制を強化

米ルーズベルト政権は民間大企業を不信の目で見て、それを抑えるためには政府による規制(レギュレーション)が必要であるとしました。ウォール街への統制が強化され、金融業務と証券業務が分離されたのです。

1935年(昭和10年)にテネシー渓谷公社(ニューディール政策)が設立され、不況対策として電源開発に努めるとともに、電力資本をけん制して電力料金を引き下げようとしました。

アメリカでは、不況対策として、政府主導で電源開発が推進された。

ケインズの学説

ニューディール政策を理論的に支えたのは「自由放任の終わり」を説くイギリスの経済学者J・M・ケインズでした。

 

ロシアやドイツも計画経済

ソ連(現ロシア)は1928年(昭和3年)から第一次5カ年計画に取り組んでいる最中で、そのために必要な熟練労働者をアメリカで募集しました。窓口であるニューヨークのソ連貿易公社アムトルグには失業者が殺到し、1931年には6000人の求人に対し10万人が応募しています。

国家社会主義を唱えるドイツのヒトラー政権も軍備拡張と高速道路などの公共事業で失業者を吸収していきました。計画経済、社会主義という言葉が何やらバラ色にみえた時期でもあったように思います。

 

日本の経済統制

日本は1931年(昭和6年)12月13日に金輸出再禁止を実施しました。ケインズ学説を知っていた高橋是清蔵相のリーダーシップで景気拡大策が図られ、景気はよみがえりました。

高橋蔵相の悲劇

しかし、需要拡大の大部分は軍事費にまわされました。あまりに理不尽な軍部の要求を非難した高橋蔵相は1936年(昭和11年)2月26日、無思慮な青年将校に惨殺されてしまいました。

その後、経済統制が急速に進められ、日本経済をがんじがらめにしていきます。民間電力会社の発電、送電部門を一本化した国営の日本発送電会社が1939年(昭和14年)に発足しました。

非能率な官僚統制に悪用

日本では「大きな政府」論はもっぱら軍備拡大と非能率な官僚統制に利用されました。しかし、このことは日本だけの現象ではありません。

なお750万人の失業者

アメリカでも、工業生産高が株式大暴落のあった1929年の水準に回復したのは第二次世界大戦が始まった翌年の1940年であり、この年ですらなお750万人の失業者がいました。大恐慌の解消は戦争を待たねばならなかったのが実情です。

戦争動員

不況克服のためのニューディールの諸機関は戦争動員に利用されました。

労働力動員には「連邦社会保険局」、国防上必要な道路・住宅建設に「連邦公共事業局」、軍需産業の拡大に「復興金融会社」が使われました。

そしてニューディールの目玉商品TVAは、その豊富な電力を使って、恐ろしい大量破壊兵器の開発を進めていくのです。