雨が上がる音が、あまりにも静かすぎた。本当に静かだった。昔の私が痛みを感じたとき、心を捲れば傷跡がついていた。それはいま、雨が上がる音に気づけなかったから。明日は何もないけど、もう寝てしまおうと思った。眠るために消した電気だったはずが、ただ涙を隠すためのそれになってしまった。暗闇は涙だけに優しく、希望は私にやけに冷たい。感情が生きる邪魔をする。感情なんてなければいいのにと思う。日差しが、明るい声が、前向きなポスターが、小学生の標語が、朝が、青色の信号が、ひとつひとつ私の心を蝕んでゆく。夜と雨が、すこし忘れさせてくれる。25時になった。いい加減25時ていう表記やめた方がいい。嫌な昨日を引きずっているみたいで気持ち悪いから。良い昨日があったことなんてもう、忘れてしまった。


12月なのにまだ梅雨が明けないでいる心が、心地良くもあった。雨が上がればまた一つ大人になれるのに、強さは増してゆくばかりである。雨が、一歩前に進むことを拒んでくる。正直に言えば、全てを雨のせいにしようとしているだけだ。良い明日に希望を抱くことももう無くなってしまった。 


 昨日は地球が終わると騒がれていた日だった。当たり前に時間は過ぎて、普通の朝が迎えにきた。今日は夕方、雨が降るらしい。次の日にはもう、誰も地球滅亡の話はしていなかった。毎日あまりにも嫌なことが多過ぎて、地球が終わるのにはちょうどよかった。


真夏のピークを迎え、駅のホームはどんよりしている。後4分経てば、弱冷房車に身を溶かすことができるというのに、不本意に汗をかいた体は、抗えない自然に少しだけ怒っている。18時が過ぎ、涼しいとは到底言えないが、ひとつの風が髪を揺らす。私たちはその風がどこから来たのかを探したくなる。顔いっぱいに風を感じ、風は私たちが前を向くきっかけをくれる。あんなに青かった空は、気づけばやさしい色になって、手のひらからこぼれた季節を、そっと思い出させる。少しだけ雲は高く、いつの間にか秋の気配がする。


また、新しい季節が来る。寒さは孤独。寒さは敏感。だからこそ、自分を守ってあげたくなる。どれだけ捻くれていても、小さな事で怒ったり泣いたりしても、そんな自分を愛してあげたい。寒さは常に暗く、冷たさは体に棘を刺す。だから敢えて街は綺麗に彩られる。冬。都会の街並みには、自然の美しさがない。都会でも、春には桜が咲くし、夏には高い太陽を浴びた蝉が鳴き、秋は木々が紅葉をみせる。冬の自然の美というのは雪でしかないので、雪の降らない地域ではその美しさを感じることができない。だから、冬は寂しい。