ママとは呼ばせないようにしてきた私の家庭でも、幼稚園児の私はママと呼んでいた。幼稚園の先生は〇〇ちゃんママって言いがちなので、絶対それのせい。あと1ヶ月で16になろうとしている今、お母さんをお母さんと呼べない。



 結露で曇った窓がもどかしい。小学2年生、冬、朝の机には、「すきやき」か「のりたま」のふりかけがランダムで置かれる。ZIPのテーマソングが掛け算されてしまう。

 辛い朝には、ガチ起きする2時間前にアラームかけてまだ余裕で寝れることを、感じたがりがち。そんな事が1日の一番最初の幸せだったりする。爺ちゃん婆ちゃんから誕生日に貰った、マイメロの時計で起きていたあの頃を愛おしみたくなる。爺ちゃんはひ孫の顔を見る前に死んだ。もの凄い雪の日だった。




 黒板に書かれためあては、しっかり青色で、定規で綺麗な四角に囲んだ。磁石のN極同士の間に指を潜らせる彼らはもう居ない。あの時の引き出しを開けたら、いっぱいだった。色で、模様で、形で、匂いで、思い出で、何より幸せだった。「じゆうちょう」に書かれた相合い傘は、薄い色で、消されている。最後のページだけは、真っ白だった。

 少し寂しくなった。

 



 3年前、死にたい夜があった。死ぬ方法なんか分からないから当然死ねる訳がなかった。朝が来るのが怖くて、毎日、夜中3時にアラームをかけた。「深夜高速」を、毎日聞いた。毎日、2階の部屋に引きこもる。お母さんがご飯を持ってくる。身体の弱い婆ちゃんもきた。私に話しかける、お母さんが泣いた。婆ちゃんも泣いた。昔、私が癇癪を持っていた頃の、お母さんを思い出した。涙は。人を、どう動かすのか?涙は。人を兎にできるか?涙は。人を早く歩かせるか?涙は。人を泣かせるのか。

 道徳教育は大切だ、とつくづく思う。いのちの電話?チャイルドライン?チャイナドレス?教育課程で必ず渡されるカード「いっしょに話そうよ」なんて、電話番号ド下ネタだったらもうなんでもいい。



しなないように

 横断歩道を渡る時のルールがどうも腑に落ちない。「みぎ(わかる)ひだり(わかる)みぎ(おい)わたれ(おい)」日本の交通ルール上、右から来る車両が近いからもう一度見るらしい。初めから「ひだり、みぎ、わたれ」で良いだろ。一生横断歩道で首を左右に振ってろと言うのか。人生は、横断歩道の前で立ち尽くす事だと思うし、横断歩道の前で立ち尽くすことは、人生だと思う。人生なんてそんなもん。大抵のことはどうでもいい。





 21時、眠れない不安に襲われてたあの少女は、午前2時、酒に溺れている。サッカー選手を夢見たあの少年は、煙草に生かされている。悪を裏切り生きていくことが幸せだったりする。法律ギリギリでみんな生きている。みんなそれぞれ事情があって、時に誰かに守られ、いつも誰かに傷つけられている。自分の敵は自分だとか言われるが、実際相対的な他者との比較で優れていなければ、自分をヨイと思えないでいる。他者?他者とは?自分?誰?もう、考えるのをやめにしよう。そう、大抵のことはどうでもいい。











 昨日は起きて、食べて、話して、笑って、寝た。一昨日も起きて、食べて、笑って、寝た。お母さんの顔が、目に浮かぶ。








 生きたい夜が来て、いつの間にか、泣いている。お母さんの顔が、目に浮かぶ。