森達也監督『福田村事件』を観賞しました。今年度、日本映画の傑作だと思いました。人の弱さと境界性をを感じさせる映画でした。今年は関東大震災から100年。しかも南海トラフ地震や首都直下型地震の発生が近づいています。そんな中で航海されたのが本作関東大震災の中での出来事を扱った『福田村事件』で、非常に考えさせる一作でした。

 

 関東大震災の起こったのは1923(大正12)年。大正時代は近代史において自由民権運動時期につぐ自由主義的思想の盛んな時期でした。明治の強権主義と昭和の軍国主義の狭間の時期で、いろいろな学問が花開き、社会主義思想も活発になった時期でした。その一方、ロシア革命に対するシベリア出兵、中国では清朝崩壊から中華民国が成立するなど、激動の時期です。当時のマスコミは「社会主義者か鮮人か、はたまた不逞の輩の仕業か」など世論を煽っていました。映画で描かれた背景にはこのような風雲急の世相を背景にしています。

 

 

 映画では地震のその時、讃岐から来た薬売りの行商団が千葉県東葛飾郡福田村に到着していました。そこへ大きな揺れが襲い、東京周辺地域では家屋倒壊や火事で大変な死者をだします。そして「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」「朝鮮人が襲ってくる」などと流言飛語が飛び交い、福田村も混乱に陥ります。

 

 そういう状況で、福田村でも自警団が編成され、朝鮮人取り締まりの体制が組まれます。讃岐からの行商団は、地元の人々からすると聞き慣れない訛りです。朝鮮人と間違えられて、行商団15人のうち、幼児や妊婦を含む9人が殺されたという悲惨な事件が起こったのです。

 

 でも映画は単に誤認で殺されたという結論では済ましていません。印象的な一場面があります。行商団は自分たちは日本人だと必死で抗弁しますが、自警団は疑いが晴れない気分でしつこくつめよります。すると行商団の頭である沼辺新助(永山瑛太)は大事なことに気がついたように「朝鮮人だったら殺してもいいのか」と問いかけたのが彼の最後の言葉となりました。

 

 特定の人間なら殺してもいい訳ではありません。でも天変地異など、普通でない事態になった時、周囲の異常な圧力に晒されたとき、平静を保つことができるでしょうか。お前はどうするのかと問われている気がします。

 

 それと対照的に、讃岐の被差別部落出身の行商団一行が、水平社宣言と正信偈を唱えるところは実に印象的でした。前年に全国水平社が設立された時代相を感じさせるとともに、人間としての輝きを感じさせる場面でした。

 

 また配役もみんな素晴らしい。主役の井浦新と田中麗奈も朝鮮帰りというハイカラな雰囲気と謎めいた設定が映画に花を添えています。そして千葉日日新聞の女性記者(木竜麻生)が、上からの圧力に屈せず、真実を報道しようとする姿は、今のマスコミに対する厳しい批判にも思えます。自警団長を演じた水道橋博士も迫真の演技でした。また朝鮮飴を売っていた少女も印象的でしたね。

 

 単に100年前の事件の真相にとどまらず、現代を写す鏡のような映画です。もっとご覧になっていただきたい映画です。