さて水間鉄道について紹介しましたが、水間鉄道の終点、水間観音駅は、泉州の名刹水間寺の最寄駅です。駅から歩いて10分くらいのところに観音霊場水間寺の伽藍があります。

 

 

 

 

 秬谷川と近義川の合流点にあり、近義川にかかる橋を渡ると目の前が境内です。

 

 

 

 

 中心伽藍の両側は川に挟まれており、水間寺という寺名がしっくり来る気がします。水間寺は泉州地域で観音霊場として親しまれているだけではありません。新西国三十三箇所霊場の第4番札所にもなっています。言い伝えによると、奈良時代の天平年間(729年 - 749年)、時の天皇である聖武天皇の命により、行基が開創したとされています。

 

 言い伝えによると行基は、聖武天皇が夢にみた観音菩薩を求め、白鳥に導かれるまま南西に向かい、白鳥を見失ってからもさらに進むと、観音菩薩の化身である16人の童子に出会いました。童子たちに案内されると、行基がやがて二つの川が合流する水間の地にたどりつきました。すると滝に竜神が現れ、求めていた聖観音菩薩が授けられたのだそうです。

 

その後、寺は繁栄しましたが、羽柴秀吉の紀州征伐で根来寺に味方したので、火をかけられて消失してしまいます。江戸時代には岸和田藩主岡部美濃守の崇敬を受け、復興を遂げ、伽藍は再建されました。 

 

 

 

 

 水間寺の本堂です。江戸時代に岸和田藩の支援により栄え、今に続く観音霊場として現在も善男善女が詣でる名刹となっています。

 

 

 

 

  三重塔です。府下でも古い木造三重塔で、風格がありますね。

 

 

 

 

 そして本堂の裏には聖地となっている滝があります。

 

 

 

 

 観音菩薩を求めてここにやって来た行基が、16人の童子に導かれてここまで来ると、白髪の仙人が現れ、行基に聖観音菩薩を手渡しました。これを天皇に渡すと、聖武ての病は全快し、勅命により水間寺を建立。観音菩薩は現在まで本尊仏としてまつられているという言い伝えです。

 

 

 

 

 本堂のある地区の西側、秬谷川を越えたところにも仏堂が並んでいます。

 

 

 

 

 開山の行基をまつった堂もあります。行基は奈良時代の僧で、畿内地域のあちこちに布施屋やお寺を建立し、今で言えば数多くの社会事業を行った人としても知られています。

 

 

 

 

 行基堂の隣りにある 池です。

 

 

 

 

    鏡池といい、行基によって作られ、行基が水鏡にして顔を写したからこの名前になったと言われます。

 

 

 

 いかがでしたでしょうか。歴史と伝説に包まれた泉州の古刹でした。ここまで来ると雰囲気も随分違います。大阪市内からは離れていますが、たまには出かけてみるのはいかがでしょうか。