福島県の中でも会津はとても人気のある場所のひとつです。

 

 会津地域の中心地会津若松市内の院内地区にある藩主会津松平家の廟所を紹介します、

 

 会津松平潘の藩祖保科正之は寛永20(1643)年に会津に入封しました。三代目正容から松平姓を名乗り、9代藩主容保まで続きました。初代保科正之の廟所は猪苗代の土津神社にありますが、二代目以降の廟所は会津若松市内、東山温泉近くの院内地域にあり、現在は国指定史跡となっています。

 

 江戸時代の墓というと仏式だと思いがちです。でも院内墓所では、2代藩正正経が仏式でまつられている以外は、神式でまつられているという変わった例です。

 

 

 

 

 ここは約1.5ヘクタールの広大な敷地で、2代藩主墓所、3〜9代までの歴代藩主の墓が並ぶ入之峰地区、中丸山地区、藩主の家族たちが葬られた西之御庭、中之御庭地区に分かれています。

 

 

 

 

 院内墓所の入口です。何か神聖な地区への入口という雰囲気です。

 

 

 

 

 付近は熊が出没するようで、熊出没注意の看板もあります。

 

 

 

 

 入口には熊除けの鈴もありました。域内を歩くときにはこれをならしながら歩き、終わったら元の場所に戻しておきましょう。私はこれ以外にスマホで音楽を鳴らしながら歩きました。

 

 

 

 

 入口を入ると、こういった石段道が続き、山内各地に通じています。

 

 

 

 

 入口を入ってまず最初に着くのが西之御庭です。ここでは保科正之の子である正頼をはじめ、藩主の子供や生母の墓があります。

 

 

 

 

 西之御庭のうちの正頼墓です。西の御庭ではこれだけが神式で他は仏式になっています。

 

 

 

 

 西之御庭の奥、中之御庭です。ここでも西之御庭と同様、藩主の子供や生母が葬られています。保科正之の五男正純が神式である以外は仏式になっています。

 

 

 

 

 正純墓です。これが神式の墓碑です。

 

 

 

 

 一番右側の正純墓以外は仏式の墓で、神式、仏式が混在しています。

 

 

 

 

 次は2代藩主保科正経墓所です。この区画は彼だけの区画で、藩主の中では唯一仏式で葬られています。

 

 

 

 

 保科正経の石塔で、戒名が記されています。

 

 

 

 

 石塔の手前には彼の功績を記した碑石が置かれていますが

台座に亀趺はありません。

 

 

 

 

 そしてさらに山を登ります。

 

 


 

 すると山内で一番大きな区画である入之峰があります。ここは3代正容(まさかた)、5代容頌(かたのぶ)、6代容往(かたおき)、7代容宗(かたひろ)、そして最後の藩主9代容保(かたもり)を祀っています。

 ここでは山の斜面を利用して基本的2段構成で、下段には石碑、上段に墓席が立てられています。

 

 

 

 

 入之峰の一番奥にあるのが容保墓です。幕末の困難な時期に京都守護職をつとめ、最後は朝敵とされ、会津落城、厳寒の地下北への国替など辛酸をなめた人です。

 

 

 

 

 容保墓です。会津藩の最後を彩る藩主の墓だけあって立派ですね。没後、新宿の正受院に埋葬されましたが、大正時代にこの地に回葬されたようです。

 

 

 

 

 容保の功績を記した石碑です。これもさすがに立派です。

 

 

 

 

 山裾近くに安置された拝殿です。本来はここから藩主たちを神として拝むようになってしたのでしょうね。

 

 

 

 

 いかがでしたでしょうか。会津の名湯東山温泉からも近いので、森林浴も兼ねて散策するのはいかがでしょうか。