● 力の山、金剛山へ
一通りのトレッキング装備を揃えようと、mont-bellへ通いまくっている泰莞です、こんにちは。
とは言っても、本気の登山とか、雪山には行かないタイプです。
ゆる~くトレッキングを楽しもうと思っています。
ということで、先日、トレッキング仲間と金剛山へ行って来ました。
以前も、他の友人と行ったことがあるんですが、そのときはあまりにも普段着だったため、外回りの道を登ったので、そんなにしんどくもなかったし、魅力も感じなかったんですよね。
スニーカー&ジーパンで余裕で登れましたから。
でも、ま、今回、「金剛山へ行きたい!」と言われたので、それならせめて違う道を行こうということになって。
調べて(もらって)分かったんですが、結構色んなルートがあるようで。
千早城跡~千早神社というところへは前回行ってないので、それならそこをまず目指すルートで行きましょうということになりました。
南海バス「金剛登山口」のバス停で降りて、千早城跡への入口です。

うん、めっちゃ急で長そうな石段……絶望的 苦笑
何だこの険しさは!?と思ったら、こんな説明が。





楠木正成公・正行公は、うちの先祖さんだというのは以前にも書いたと思いますが、なるほど、そういうわけでこんなところに城跡(陣の跡?)があるわけですね。
よし!と、先祖さんに想いを馳せながら、石段を登っていきます。
タッチフォーヘルスでの修正も忘れずに。
ちょっと登ると、鳥居がありました。
ここからが御神域ということでしょう。


ここまででも疲れましたが、意外と早く千早城跡に到着しました。



思っていたよりも早かったので、しばしゆっくり歩いて呼吸を整えながら、千早神社へ。



こちらの神社には、正成公と正行公が祀られているということで、畏れ多くも真っ正面から。
(鳥居の向こう側からだから良いですよね?とご先祖さんにお願いしながら……届いているはず 笑)
ピンと張り詰めた緊張感……石清水八幡宮でも感じたものですが、敗北は死を意味する世界で生きておられたからこそ、勝運というのが非常に大切なものであるというのをひしひしと感じました。
生死にかかわるぐらい真剣に、今何か自分が取り組んでいるのかと、強く問われたように思いました。
さて、そこから少し行くと、また別のルートと合流しました。
こちらは比較的緩やかだったので、汗は出ましたが、そんなに辛くはない。
合流してすぐに、楠木正儀公のお墓とされているものがありました。

諸説あるそうですが、こちらにも手を合わせさせていただいて、道を進みます。
このルートには、所々に仏像が置かれていたので、手を合わせながら登っていると、ある方から声をかけられました。
後で教えていただいたのですが、御歳77歳で、金剛山へは3400回以上登ってらおられる方でした。
う~ん、噂には聞いていましたが、この金剛山、登ってる方のその回数の桁がおかしい( ̄▽ ̄;)
その方が金剛山の面白いお話をしてくださるので、上まで一緒に登らせていただきました。
実は、置かれている仏像は昔は十三体あったけれど、今はないのだそうです。
明治の時代の廃仏毀釈によって、この山道にある十三体の仏像は潰されることになっていたそうです。
しかし、人々の信仰の拠り所でもあった仏像を黙って潰すのは忍びない、申し訳ないと、近隣の村の方十三人が、それぞれ山のどこかに仏像を埋めて隠したのだそうです。
やがて廃仏毀釈の令が取り下げられて、仏像は戻ってきましたが、その時までに仏像を隠した方が何名か亡くなってしまいました。
令が出ている間は、知っている者が罰せられてしまうわけですから、誰にも言わずに、文字通り墓まで持っていかれたということです。
言葉にしてしまうと短くなってしまいますが、すごいドラマがあったのだなぁと。
歴史に名を残しているわけではない人々の中にあった、力強い信念と言うか、不屈の意志というものに触れたような気がしました。
他にも、楠木正成公をはじめとする南北朝時代のお話などもしてくださいました。
金剛山の山頂へ。

「こんな風に、登山証をいただくんだよ」と、先達さんのものを見せてくださいました。
(この時に、3400回以上登られているということと、年齢を聞いて、びっくりしました)
少しの休憩の後、転法輪寺へ。

こちらは、廃仏毀釈で失われてしまったそうで、近年再建されたそうです。
そして、葛木神社へ。
途中には、夫婦杉がありました。


たまに落雷に遭って、枝が落ちていることもあるそうですが、それでもびくともせずに立ち続けているんだそうです。
下の方には、夫婦の心得のような石碑が置かれていました。
(新しいもののようでした)
そのまま行くと、葛木神社に着きます。

金剛山最高峰は、この葛木神社の奥なのですが、そちらは御神域であり、立ち入ることはできません。
ですから、ここが我々が立つことのできる金剛山の一番高いところだそうです。


この御由緒の書かれた看板の向こうに、葛木神社の十三社があり、そちらもお参りさせていただきました。
「今まで案内してきた中で、あんたらが初めて手を合わせはったわ」と、先達さんも何となく嬉しそうにしてはりました 笑
この御社のところから、本殿を拝むことができます。

関西では珍しい大社造りというものだそうです。
そこから下へ行くと、葛木山が見えます。

山ツツジが咲くと、一面赤い色が広がって、また違う景色だそうです。
その時期にも、是非訪れてみたいです。
……金剛山登って下りて、同じ日にまた葛城山に登って下りるということをされる方もいるようですが、それは流石に僕には無理です。
ここで先達さんとお別れして(お名前も聞かなかったなぁ)、写真を撮りに一の鳥居へ向かいました。

雰囲気のある木の鳥居……この鳥居を境に、明らかに御神域であるというのが分かるぐらい空気が変わります。
仁王杉。

こちらも、何度も落雷に遭っているそうですが、強く立ち続けています。
矢刺神社。

小さく、静かな御社でしたが、何だか力強いなぁと思って、御縁起を読んだら……雄略天皇が猪を蹴り殺したという話が。
本当に、「力強さ」というのがテーマの山なんだなぁ、と。
また少し歩いて、下から見た葛木神社。

大国主命が御出現されたという福石がありました。

その隣には、後醍醐天皇縁の宝剣塔がありました。

山頂の山道は、こんな感じで神秘的です。

下は晴れていたのですが、山頂付近に来る頃には曇り空に。

山の天気は変わりやすい。
そして、ご飯を食べて、下山。
三輪山で山道には慣れていると言っても、流石に距離が違うので、下りで膝を痛めたようです 苦笑
鍛えていかないとなぁと、痛感しました。
こんな感じで、金剛山を楽しんで来ました。
疲れましたが、良いところだなぁと本当に感じました。
ご先祖さん縁の地でもありますから、また何度も訪れることになるだろうなぁという予感がありますしね 笑
※ 武部の姓は僕の母方の姓であり、易号ですから、僕の本名とは異なります。
一通りのトレッキング装備を揃えようと、mont-bellへ通いまくっている泰莞です、こんにちは。
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とは言っても、本気の登山とか、雪山には行かないタイプです。
ゆる~くトレッキングを楽しもうと思っています。
ということで、先日、トレッキング仲間と金剛山へ行って来ました。
以前も、他の友人と行ったことがあるんですが、そのときはあまりにも普段着だったため、外回りの道を登ったので、そんなにしんどくもなかったし、魅力も感じなかったんですよね。
スニーカー&ジーパンで余裕で登れましたから。
でも、ま、今回、「金剛山へ行きたい!」と言われたので、それならせめて違う道を行こうということになって。
調べて(もらって)分かったんですが、結構色んなルートがあるようで。
千早城跡~千早神社というところへは前回行ってないので、それならそこをまず目指すルートで行きましょうということになりました。
南海バス「金剛登山口」のバス停で降りて、千早城跡への入口です。

うん、めっちゃ急で長そうな石段……絶望的 苦笑
何だこの険しさは!?と思ったら、こんな説明が。





楠木正成公・正行公は、うちの先祖さんだというのは以前にも書いたと思いますが、なるほど、そういうわけでこんなところに城跡(陣の跡?)があるわけですね。
よし!と、先祖さんに想いを馳せながら、石段を登っていきます。
タッチフォーヘルスでの修正も忘れずに。
ちょっと登ると、鳥居がありました。
ここからが御神域ということでしょう。


ここまででも疲れましたが、意外と早く千早城跡に到着しました。



思っていたよりも早かったので、しばしゆっくり歩いて呼吸を整えながら、千早神社へ。



こちらの神社には、正成公と正行公が祀られているということで、畏れ多くも真っ正面から。
(鳥居の向こう側からだから良いですよね?とご先祖さんにお願いしながら……届いているはず 笑)
ピンと張り詰めた緊張感……石清水八幡宮でも感じたものですが、敗北は死を意味する世界で生きておられたからこそ、勝運というのが非常に大切なものであるというのをひしひしと感じました。
生死にかかわるぐらい真剣に、今何か自分が取り組んでいるのかと、強く問われたように思いました。
さて、そこから少し行くと、また別のルートと合流しました。
こちらは比較的緩やかだったので、汗は出ましたが、そんなに辛くはない。
合流してすぐに、楠木正儀公のお墓とされているものがありました。

諸説あるそうですが、こちらにも手を合わせさせていただいて、道を進みます。
このルートには、所々に仏像が置かれていたので、手を合わせながら登っていると、ある方から声をかけられました。
後で教えていただいたのですが、御歳77歳で、金剛山へは3400回以上登ってらおられる方でした。
う~ん、噂には聞いていましたが、この金剛山、登ってる方のその回数の桁がおかしい( ̄▽ ̄;)
その方が金剛山の面白いお話をしてくださるので、上まで一緒に登らせていただきました。
実は、置かれている仏像は昔は十三体あったけれど、今はないのだそうです。
明治の時代の廃仏毀釈によって、この山道にある十三体の仏像は潰されることになっていたそうです。
しかし、人々の信仰の拠り所でもあった仏像を黙って潰すのは忍びない、申し訳ないと、近隣の村の方十三人が、それぞれ山のどこかに仏像を埋めて隠したのだそうです。
やがて廃仏毀釈の令が取り下げられて、仏像は戻ってきましたが、その時までに仏像を隠した方が何名か亡くなってしまいました。
令が出ている間は、知っている者が罰せられてしまうわけですから、誰にも言わずに、文字通り墓まで持っていかれたということです。
言葉にしてしまうと短くなってしまいますが、すごいドラマがあったのだなぁと。
歴史に名を残しているわけではない人々の中にあった、力強い信念と言うか、不屈の意志というものに触れたような気がしました。
他にも、楠木正成公をはじめとする南北朝時代のお話などもしてくださいました。
金剛山の山頂へ。

「こんな風に、登山証をいただくんだよ」と、先達さんのものを見せてくださいました。
(この時に、3400回以上登られているということと、年齢を聞いて、びっくりしました)
少しの休憩の後、転法輪寺へ。

こちらは、廃仏毀釈で失われてしまったそうで、近年再建されたそうです。
そして、葛木神社へ。
途中には、夫婦杉がありました。


たまに落雷に遭って、枝が落ちていることもあるそうですが、それでもびくともせずに立ち続けているんだそうです。
下の方には、夫婦の心得のような石碑が置かれていました。
(新しいもののようでした)
そのまま行くと、葛木神社に着きます。

金剛山最高峰は、この葛木神社の奥なのですが、そちらは御神域であり、立ち入ることはできません。
ですから、ここが我々が立つことのできる金剛山の一番高いところだそうです。


この御由緒の書かれた看板の向こうに、葛木神社の十三社があり、そちらもお参りさせていただきました。
「今まで案内してきた中で、あんたらが初めて手を合わせはったわ」と、先達さんも何となく嬉しそうにしてはりました 笑
この御社のところから、本殿を拝むことができます。

関西では珍しい大社造りというものだそうです。
そこから下へ行くと、葛木山が見えます。

山ツツジが咲くと、一面赤い色が広がって、また違う景色だそうです。
その時期にも、是非訪れてみたいです。
……金剛山登って下りて、同じ日にまた葛城山に登って下りるということをされる方もいるようですが、それは流石に僕には無理です。
ここで先達さんとお別れして(お名前も聞かなかったなぁ)、写真を撮りに一の鳥居へ向かいました。

雰囲気のある木の鳥居……この鳥居を境に、明らかに御神域であるというのが分かるぐらい空気が変わります。
仁王杉。

こちらも、何度も落雷に遭っているそうですが、強く立ち続けています。
矢刺神社。

小さく、静かな御社でしたが、何だか力強いなぁと思って、御縁起を読んだら……雄略天皇が猪を蹴り殺したという話が。
本当に、「力強さ」というのがテーマの山なんだなぁ、と。
また少し歩いて、下から見た葛木神社。

大国主命が御出現されたという福石がありました。

その隣には、後醍醐天皇縁の宝剣塔がありました。

山頂の山道は、こんな感じで神秘的です。

下は晴れていたのですが、山頂付近に来る頃には曇り空に。

山の天気は変わりやすい。
そして、ご飯を食べて、下山。
三輪山で山道には慣れていると言っても、流石に距離が違うので、下りで膝を痛めたようです 苦笑
鍛えていかないとなぁと、痛感しました。
こんな感じで、金剛山を楽しんで来ました。
疲れましたが、良いところだなぁと本当に感じました。
ご先祖さん縁の地でもありますから、また何度も訪れることになるだろうなぁという予感がありますしね 笑
※ 武部の姓は僕の母方の姓であり、易号ですから、僕の本名とは異なります。
運命学実践家・易者 武部泰莞
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