今日は、お客さんが来ていたので、休みの日ですが、案内をしてきました。
まずは、浦添城址にある展望広場
へ。ようどれ館の脇にあります。
普天間基地を望みます。(真ん中の丘の上の青い屋根が次に出てくる嘉数高地です)
望遠で見てみます。
那覇市側を望みます。真ん中の三角な屋根が浦添市役所です。
浦添城(うらそえグスク)は約220年間中山王の舜天(しゅんてん)王統・英祖(えいそ)王統・察度(さっと)王統の三王統の王城で琉球王国の首都でありました。1406年に中山王の武寧王が尚巴志によって滅ぼされ、この時王府を首里城へ移したため、浦添城は廃城となりました。更に第二次世界大戦において、日本軍が城址に陣取ったため、アメリカ軍との激戦になり、ようどれと共に大部分が破壊されました。 このため、城壁の一部が現存するだけちなっています。現在は、浦添大公園として
整備されています。
さて、次は嘉数高地へ行きました。
沖縄戦の大激戦地であるとともに、一般の人が普天間基地を近くに望めるので有名な場所です。
普天間基地を望みます。
望遠で見てみます。
宜野湾市の案内板です。
展望台はこんな感じです。
この嘉数高地は沖縄戦での最激戦地であり、展望台脇の案内文には、
「嘉数高地は、第2次世界大戦中に作戦名称第70高地と命名され、藤岡中将の率いる第62師団独立混成旅団、第13大隊原大佐の陣頭指揮で、約千人の将兵と約千人の防衛隊で編成された精鋭部と、作戦上自然の要塞の上に堅固な陣地構築がなされたため16日間も一進一退の死闘が展開されたが、ついに日本軍は矢尽き刃折れ後退した。しかし米軍にとっては『死の罠』「いまわしい丘」だと恐れられた程に両軍ともに多くの尊い人命を失った激戦地である。
この嘉数高地70高地は、旧日露戦争の203高地に値する第2次世界大戦の歴史の上に永代に残る戦跡である。 」
と記されています。
実際には嘉数高地は、真ん中の鞍部で区切られた嘉数北側高地と西部70高地に分かれ、展望台は北側高地にあります。
さて、次は嘉手納の道の駅へ。カメラを車に忘れて写真が撮れませんでしたが、次のランチの時間があるので取りには戻りませんでした。
昼食は沖縄市の東京第一ホテルオキナワグランメールリゾート へ。
8月に行った以来ですが、改装されてきれいになっていました。
その代わり(?)に、12時までに入ると1000円の割引価格がなくなっていました。
大人1600円、会員価格1200円です。
メニューや味は変わっていませんでしたが、おかずを取る場所が少し狭くなっていて混雑していました。
(7月6日のブログにも書いています。)
11時45分に着いたのですが、もう長蛇の列でした。なんと、私たちのところで席が埋まって次の人は20~30分待ち。超ラッキーでした。
混んでいるときは90分とさせていただく場合があります。と言われましたが、そんなに食べることはできず、60分で出ました。(たっぷり食べましたが)
ロビーには整理番号をもらって待っている人で大混雑でした。
このあと、お客さんを那覇空港へ送っていって、本日の観光ガイドは終了となりました。