またまた風邪をひいて更新を滞らせてしまいました…アセアセ

 

中国東北地方に伝わる婆婆丁(たんぽぽ)の語源についての物語です。

 

昔々、松嫩平原(しょうのんへいげん)に丁家窩棚という村がありました。
※松嫩平原とは、中華人民共和国黒竜江省西南部から吉林省西北部にかけて位置する東北平原の一部。松花江と嫩江の堆積物からなる平原である。

丁家窩棚には、神仙をも凌駕すると評判の丁未亡人が住んでいました。

 

(※画像はあくまでも"神仙をも凌駕する…"のイメージです)


丁未亡人は中年にさしかかった頃に夫を亡くし、一人で息子と娘の二人の子供を育てていました。
息子の栓柱は大工をしており、やがて賢くて従順な良い嫁、孝梅を娶りました。
しかし、鬼姑と化した丁婆婆は孝梅を気に入らず、嫁の悪口ばかり言っており、息子は板挟みになっていました。
ある日、丁未亡人が孝梅をヤケドさせたことで、栓柱は嫁を心配するあまり、夜中に家を出て出稼ぎに行ってしまいました(※意味不明な行動…なぜ嫁のそばにいてあげない!?)

 

(※画像はあくまでも家に残された丁未亡人と孝梅のイメージです)


丁婆婆はますます孝梅をいじめ抜き、孝梅は黙って苦しんでいました。
ある日、丁婆婆が苣荬菜 qǔmaicài(ハチジョウナ)を食べたいと言い出し、孝梅に山へ採りに行かせたのですが、孝梅が山から摘んで持ち帰ったのは、ハチジョウナではなくタンポポの葉でした。
そしてタンポポの葉を食べた丁婆婆は、身体中に赤い発疹が出て苦しみはじめたのです。
※苣荬菜 qǔmaicài(ハチジョウナ)

「嫁子に毒草を食わされたァァァ!!!!!」
 

あばた顔になってしまった丁婆婆は怒りくるって県令に孝梅を訴えにいきました。

 

(※画像はあくまでもあばたーなイメージです)

 


しかし、県令が老中医に調べさせたところ、タンポポの葉に毒性はなかったのです。
丁婆婆が孝梅を憎む気持ちや意地悪な性根がタンポポの葉を食べることにより、デトックスされて身体から排出されたようなのでしたキラキラ
孝梅が罪に問われることはありませんでした。
最後に老中医は、タンポポとハチジョウナの違いを説明し、タンポポも食用にすることができ、むしろ薬用効能があり、非常に強い生命力を持つ植物であることを示しました。

そのため、人々はこの野菜を「婆婆疔」と呼び、それが後に「婆婆丁(お姑の丁さん)」となり、中国東北地方でタンポポを指す慣用語となったんですって。
※疔ding1…皮膚病の一種

 

(原文)アクセスできなかったらすみませんアセアセ

 ↓↓↓

 

 

(おしまい)

 

 

ちなみに日本語の「タンポポ」の語源のほうは、諸説ありますが、タンポポのつぼみが鼓に似ており、鼓は叩くと「タン、ポン、ポン」と音が出るためタンポポと名がついたそうです。

タンポポと広く言われる前は「鼓草・つづみぐさ」と呼ばれ、小さな子供達が鼓の音からタンポポと呼ぶようになったんですってヒマワリ←この絵文字はたぶんタンポポじゃなくひまわり

 

続編を書くまでずいぶんと長く引っ張ってしまいましたのは、ブログ本文にふさわしい画像を集めるのに時間がかかってしまったせいもあります…ニヒヒ

 

 

(おまけ)

 

 

(↑)婆婆丁はこうやって食べます(動画冒頭でおばちゃんがバリバリ召し上がっておられるのが婆婆丁)、真ん中の茶色いのは卵味噌です