1.はじめに

 昨晩はお酒を飲みすぎたせいもあり、ベガリーインスぺクターというコンテンツで大失態をしてしまいました。ご一緒してくださった方にはご迷惑をおかけいたしましたことをこの場もかりてお詫び申し上げます。お正月休みも終わりますから、日常生活の生活リズムを取り戻していきたいです。

 

 さて、本日はここ数日考えていたことをまたブログの記事として書いてみようと思います。今回の試論がうまくいくかどうかはまだ未知数の部分もありますが、読者の皆様にとって少しでも中身のある時間になるように筆を取りたいと思います。

 

 

2.サブカルチャーが現実を覆う現象の意味を考える

 

①サブカルチャーの源泉としての現実

 私たちが普段接しているこの世界は、人間にとって都合よくできていないといえるぐらいの複雑さをもっています。例えば、この世界をどんどん裁断していって細かくみていこうとすると量子力学のような世界が広がっていきますし、この世界を大きくみようとするとそこには統計学が扱うような個別の事象からは見えてこない秩序だった世界がみえてきたり、空間的に考えれば、住んでる地域→国→地球→太陽系→銀河→宇宙とどんどん広げることも可能です。

 それに加え、私たち個体の数ほど主観が存在し、各主観ごとに様々な価値観や世界観を持っていきています。

 つまり何がいえるかというと、この世界に住んでいる私たち人間自体がもっている複雑性とこの世界自体がもっている複雑性が相互にからみあい、この現実はとてつもない複雑性で構成されているということです。

 一見、このような複雑性は人間が生きる上で困難さにしかみえないかもしれませんが、私たちの先祖や先人たちが築いてきた歴史や文化をみていくと、現実が複雑だったからこそ、豊かな歴史と文化を造り出すことができたともみることができます。

 

 この視点にたつと、メインカルチャーだけでなくサブカルチャーもまた、現実の複雑性から生み出されているという論点を手にすることができます。

 

 

②「男はつらいよ」を例にして

 日本人のある一定以上の年齢の方ならだれでも知っている映画の一つが「男はつらいよ」という渥美清さん主演の作品でしょう。この「男はつらいよ」シリーズは一人の俳優が演じ続けた作品数としてギネス記録に載るほど長期にわたって上映されてきました。この作品は、日本だけでなく海外でも人気があることを知りました。特にフランスでは、来日した時に「男はつらいよ」に魅せられてフランスでの「男はつらいよ」の上映活動やこの映画を題材にした本を出版されるようなフランス人の方までおられるそうです。(※1)

 

 「男はつらいよ」はなぜいろいろな国で人気があるか?その答えは人によって異なるでしょうが、私の立場から言うと、人間の感情や心の機微という複雑性を時代や場所を超えて普遍的に描いているからではないかと考えます。

 

 つまり、日常生活で誰しもが味わう「出会いと別れの喜びと寂しさ」「恋愛感情を抱くことのすばらしさと失恋の痛み」「自由の気楽さと自由にともなう生活の厳しさ」「いつでも帰ることができる場所としての家族」。こうしたことが観る人の心を動かすのでしょう。そして、「男はつらいよ」がそうであるように、これまでこの世に生み出された様々なジャンルの作品それぞれに、現実の複雑さから生み出される人間が抱く感情や考え方や態度や価値観が色濃くにじみでているからこそ、それらの作品は支持されるのでしょう。

 

③FFXIも例にして

 FFXIもまた現実の複雑性から生まれた作品の一つです。たとえば日常生活で私たちはお金という社会装置を用いて物やサービスを売ったり購入したりしますが、FFXIではギルという単位でこの貨幣システムが取り入れられています。他にも私たちプレイヤーがチャットをつかって意思疎通をする瞬間瞬間それぞれに、日常生活で育まれた考え方が反映されることも多々あるでしょう。

 あまりいい例ではないですが、ゲーム内で使えないアイテムのことを「ゴミ」と呼ぶ人たちがいます。これは、もっとも価値があるもの以外は価値がないという考え方に通じ、完全性・完璧主義への志向が見え隠れします。このような言葉を使う方は、おそらくですがゲーム外の日常生活でも、たとえば人間を「使える人間/使えない人間」といった見取り図で判断したり、自分が望む結果以外のものを受け付けない傾向をお持ちかもしれません。「男はつらいよ」という映画ファンがいる理由のひとつが、不完全さへの愛のように思えます。というのは、寅さんの恋愛はいつも成就しませんし、家族との仲は一向によくなる気配はありません。ですが、この映画を観て寅さんの生き方に不満を抱く人はどれほどいるでしょうか。寅さんに対する不満より、寅さんの生き方の切なさに心を通わす人の方が多いのではないでしょうか。

 「完全でいよう」「完璧でいよう」「いつも時代においついていよう」「絶対失敗しないようにしよう」。こうした考え方は、ある意味で現代社会が私たち個体におしつけてきている価値観でもあるでしょう。この価値観は自然と目に見えない形で私たちを侵食していきます。だからこそ、「男はつらいよ」を観た時、そうした価値観から一時的かもしれませんが離れることができ、それが一種のカタルシスや解放感につながっているようにもみえます。

 

 

サブカルチャーが現実を覆う現象の意味を考える

 「男はつらいよ」とFFXIという二つしか例はあげていませんが、娯楽作品の中に現実の複雑性が染み込んでいることを指摘いたしました。ここからは、娯楽作品に現実の複雑さがとりこまれていることの意味を探っていきたいと思います。

 

ア)社会システム理論の見地から

 ニクラス・ルーマンが提唱した社会システム理論の立場から今回のテーマをみると、面白いことがわかってきます。それは、娯楽作品もまた複雑性を縮減する機能を持っているという視点です。つまり、あまりにも複雑なこの現実の複雑性を緩和して人間にとって生きやすい世界をつくる。この世界こそが社会であり、人は社会の中に内包されて生きています。この文脈はそのまま娯楽作品と人間との関わりについても同様の関係を見て取れるということです。一言でまとめるなら、娯楽作品は現実の複雑性を吸収し「わかりやすい世界」を提示するということです。

 

 

イ)サブカルチャーが担っている社会的機能

 以上の考察を踏まえると、サブカルチャーが担っている社会的機能とは、複雑すぎて理解しずらいこの現実を受け入れやすくする機能を担っているということができます。もう少し具体的に言うと、例えばアニメ作品に多くの人が心をひかれていますが、映像、音、声優による声といった現実をより捨象した時間内で物語が進行していくという形式に着目すると、アニメ構造自体が現実より複雑性が緩和しているとみることができますし、登場人物や物語の背景やストーリーも、より「わかりやすく」なっていることも注目すべきでしょう。また「時間の圧縮」「感覚情報の選別」「感情曲線の可視化」もアニメが得意とする表現方法といえます。

 ここから一つの結論を導くことができます。それはありのままの現実を受け止めることは難しい。だから人間は社会システムを通して現実を「加工」するだけでなく、娯楽作品といった文化現象においても、現実を「加工」する。この「加工」が巧であればあるほどその作品は魅力的にうつるのでしょう。また「加工しすぎると現実から乖離する危険」性がある一方で、しかし「加工」がなければ人は現実に耐えられないという側面もサブカルチャーが請け負っている役割の一つとも言えるでしょう(本稿でいう「加工」とは、現実を単純化することではなく、人間が理解し、生きられる形に再構成することを指します。)。

 

 

3.まとめ

 まとめると、サブカルチャーがまるで現実を覆う勢いで現実を「加工」していっているようにみえます。例えば「タコピーの原罪」という作品はそれまで扱わなかったような社会と人間の暗部をアニメ作品として扱いだしています。これからもますます現実をより広く深く精密に「加工」していく作品がふえていくかもしれません。私たちは、そうした作品が訴えるメッセージに気づけるぐらい複雑な感性を持てれたら、適切に作品を理解し享受していくことができるのかもしれません。その結果、私たちの人生観はより豊かにひらかれていくのでしょうか。

 

 

■追記

 2025年の紅白歌合戦で松田聖子さんが大トリをされました。「青いサンゴ礁」を歌われました。たった独りで舞台にあがりました。この舞台に上がるまで聖子さんは大切なお嬢さんを亡くされていました。聖子さんはもうデビュー当時の歌い方はできなくなっていました。それでも原曲のイメージを壊さないかような歌い方をされました。松田聖子さんをみていて、人生において言葉にできないほどつらい想いをしたとしても、アイドル松田聖子という役割を全力でまっとうしようとしていたことを強く感じました。その姿に、もう完璧な「青いサンゴ礁」は歌えないかもしれないけれど、今自分ができる精一杯の、これまでの人生で得てきたあらゆる想いを込めた人間として成熟した「青いサンゴ礁」を歌い切ったようにみえました。人生は思い通りにいかない不完全なものだったとしても、生きるに値するというメッセージが伝わってきました。松田聖子さんもまた人間の儚さ、もろさを理解した表現者ではないかと受け止めることができました。

 

 

「本当に大切なことを射止める矢」

(下書きは鉛筆。色塗りはAIさん)


◾️脚注

(※1)クロード・ルブラン『山田洋二が見てきた日本』2024,大月書店。



・校正。(2026年1月4日)

・脚注を挿入。(2026年1月4日)