3月12日 この日は 旧初午
お稲荷さん繋がりのお友達と お山参りをさせていただこうと 仕事をお休みする予定で 楽しみにしてました。
でも~ 。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。 でも~ 。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
この日 どうしても参加しなければいけない職場のミーティングが入ってしまって・・・
お友達と 一緒にお山参りができなかったの。
以前 伏見のお山の中のお社の塚守さんに あと2回来たら『行』が始まると言われた。
なんの『行』か尋ねてみても それは知らんって・・・
ふむ ┐( ̄ヘ ̄)┌
で・・・ お参りさせてもらうのが慎重になってました。
この日が 『行』の始まる1回目
お山に登らんかったけど・・・
仕事も ミーティングも終わって うちに帰ってご飯を食べて 伏見のお稲荷さんとこに。
夜のお参りは なんか雰囲気が全然違うネェ ゚・゚*・(゚O゚(☆○=(`◇´*)o
本殿だけではなんだか物足りなさを感じて また興味も重なって奥宮に向かう。
前日 貴船のお社にお参りさせてもらって 白馬ちゃんと黒馬ちゃんをみたでしょ。
こちらでも お馬ちゃんに目がとまりました。
後でわかったことやけど・・・
前日夜参りさせていただいた晴明のお社の晴明さんも稲荷に関係あったよね。
お母さんが 信太の杜の稲荷巫女さんでしたよねぇ。
お馬ちゃんの下をみると なんと 人参!!! Σ(=°ω°=;ノ)ノ
新たな発見 ヾ(@^(∞)^@)ノ
いよいよ 千本鳥居
キャァ~~ッ (((( ;°Д°))))
さすがに私のように 一人でお参りされている方とは出会いませんでした。
なんというか・・・ 自分と真摯に向き合ういい機会でした。
犬の遠吠えに ときおり驚かせられましたけど。。。 。(;°皿°)
奥宮 とうちゃ~~く A=´、`=)ゞ
~ またまた ブレた写真をつかって!!って思われちゃいそうですねぇ
はいその通り (* ̄Oノ ̄*)
私のガラケー写真では こんな感じに写っちゃいます。
どなたもいらっしゃらなかったので 祓詞や祝詞をお唱え 舞わせていただきました。
この流れで お山の中の 私のお気に入りのお社に行けたかも・・・
でも 途中の塚がなぁ・・・ 肝試しのように思えたので・・・
今度 きっちりと身なりを整え 夜参りさせてもらおうと思ってます。
2011年3月11日
この日 私は 午前中は仕事。午後からお参りに出かけていました。
コノハナサクヤヒメさんをお祀りされている 阿陀比売神社さん
初めてお参りさせていただきました。
古事記の海サチさん山サチさんのお話に興味があったからと思います。
全く身近に感じる神さまではなかったの。
でも・・・
なんか なんか・・・
2年後の3月11日 コノハナさんとこにお参りに行きたいナァ~と探してました。
でも・・・でも・・・ 奈良遠いしな~ 梅宮さんとことちゃうしな~ なんて思ってました。
で・・・ 前回の記事にも書いたように 貴船社に決めました。 神職さん方の復興のお祈りに参加させていただきました。
このお社 貴船さんとこの末社 牛一社
も~~~ ビックリしたやんか~~ (@ ̄Д ̄@;)
牛一社で なんで コノハナさんなんやろぅ?? Oo。。( ̄¬ ̄*)
貴船さんとこのサイトみても 梅宮社あるやん・・・
やのに・・・ なんで 牛一社にも コノハナさんなん?? ┐( ̄ヘ ̄)┌
で・・・ この御祭神は コノハナさんだけど・・・『古伝に 牛鬼』 と。。。
- - - - -
牛鬼は貴船明神が 丑の年 丑の月 丑の日 丑の刻に 御降臨の際 お伴した神丑の刻参りは有名
- - - - -
禁足地である 鏡岩 貴船山の中腹にある、太古の伝説を秘めた鏡岩。
太古の昔、貴船大神が丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻に、この鏡岩に天上から天降ってこられたとの伝説が残っていると・・・
キャァ~~ (*゚ー゚)ゞ 浪漫感じるわ~
けど。。。 丑の刻参りやろぅ・・・ (((( ;°Д°))))
wikipedia を見てみて またもや ビックリしてしまった。。。
- - - - -
丑の刻(午前1時から午前3時ごろ)に神社の御神木に憎い相手に見立てた藁人形を毎夜五寸釘で打ち込むという、日本に古来伝わる呪術の一種である。
有名な神社としては、京都府の貴船神社や岡山県の育霊神社などがある。 古くは祈願成就のため、丑の刻に神仏に参拝することを言った。
陰陽師が使役する式神というものがあるが、式神は荒ぶる神としての妖怪としても描かれ、人の善悪を監視する役目を持っていたとされ、様々な不思議な力を発揮したと言われる。
- - - - -
あぁぁぁぁ~~~~~っ この偶然 何かあるんやろか。。。(((゜д゜;)))
実は・・・ 私 貴船の御神水を 元気のないお友達にお届けしたの。
そのあと 一人でね 鎮魂のお祈りをしようと 夜参り。
夜参りと言ってもね。。。 21時半頃。 丑の刻参りやありまへんえ (θωθ)/~
私 なんで そう思ったンやろぅ 何故か 晴明神社さんへ行ったの
- - - - -
丑の刻参りは古くからあるようで、鎌倉時代後期に書かれ、裏平家物語として知られる屋代本『平家物語』「剣之巻」に登場する。
「宇治の橋姫」と呼ばれる女性が、現在伝わる丑の刻参りと似た方法で、怨みをはらすため鬼になりたいと願をかけ、願いを成就させている。
この時に宇治の橋姫が丑の刻参りを行ったのが、当時、心願成就・呪咀神信仰で有名であった貴船神社である。
- - - - -
次に 宇治の橋姫についてwikipedia を見てみる。
- - - - -
宇治の橋姫(うじのはしひめ)は、京都府宇治川の宇治橋で祀られる橋姫。
多様な伝承と側面を持ち、主なものに源綱(渡辺綱)が一条戻り橋で遭遇し斬った「嫉妬の鬼」、宇治橋そばの橋姫神社に祭られている「橋の守り神」、の2つがある。
- - - - -
あれぇ~~~ あの戻橋にいるの式神ちゃうのん??ヘ(・o・Ξ・o・)ヘ
あれは 橋姫か??
- - - - -
嵯峨天皇の御世(809年-825年)、とある公卿の娘が深い妬みにとらわれ、貴船神社に7日間籠って「貴船大明神よ、私を生きながら鬼神に変えて下さい。妬ましい女を取り殺したいのです」と祈った。明神は哀れに思い「本当に鬼になりたければ、姿を変えて宇治川に21日間浸れ」と告げた。
そのようにして宇治川に21日間浸ると、貴船大明神の言ったとおり生きながら鬼になった。これが「宇治の橋姫」である。
源頼光の四天王の1人源綱が一条大宮に遣わされた。夜は(橋姫のせいで)危険なので、名刀「鬚切(ひげきり)」を預かり、馬で向かった。
その帰り道、一条堀川の戻橋を渡る時、女性を見つけた。見たところ20歳余で、肌は雪のように白く、紅梅柄の打衣を着て、お経を持って、一人で南へ向かっていた。
綱は「夜は危ないので、五条まで送りましょう」と言って、自分は馬から降りて女を乗せ、堀川東岸を南に向かった。正親町の近くで女が「実は家は都の外なのですが、送って下さらないでしょうか」と頼んだので、綱は「分かりました。お送りします」と答えた。
すると女は鬼の姿に変わり、「愛宕山へ行きましょう」と言って綱の髪をつかんで北西へ飛び立った。綱はあわてず、鬚切で鬼の腕を断ち斬った。
綱は北野の社に落ち、鬼は手を斬られたまま愛宕へ飛んでいった。綱が髪をつかんでいた鬼の腕を手に取って見ると、雪のように白かったはずが真っ黒で、銀の針を立てたように白い毛がびっしり生えていた。
鬼の腕を頼光に見せると頼光は大いに驚き、安倍晴明を呼んでどうすればいいか問うた。晴明が「綱は7日間休暇を取って謹慎して下さい。鬼の腕は私が仁王経を読んで封印します」と言ったので、その通りにさせた。
- - - - -
北野の杜って・・・ 天神さんとこちゃうやろなぁ。。。 ( ゜∋゜)
私は ただただ 晴明さんとこで 鎮魂のお参りをしただけやで~
門閉まってたから 外からね。。。
修験道の九字切りを晴明さんとこで みてもらおうと思ったけど。。。
教わってから あんまりせーへんから うまいことでけへんかったんやわっ
太礼道の天地繋がる作法もみてもらったんよナァ~
と勝手に思ってますネン (●´ω`●)ゞ
今度ね。。。一条戻り橋 行ってみよ~~っと。
この日 私は 午前中は仕事。午後からお参りに出かけていました。
コノハナサクヤヒメさんをお祀りされている 阿陀比売神社さん
初めてお参りさせていただきました。
古事記の海サチさん山サチさんのお話に興味があったからと思います。
全く身近に感じる神さまではなかったの。
でも・・・
なんか なんか・・・
2年後の3月11日 コノハナさんとこにお参りに行きたいナァ~と探してました。
でも・・・でも・・・ 奈良遠いしな~ 梅宮さんとことちゃうしな~ なんて思ってました。
で・・・ 前回の記事にも書いたように 貴船社に決めました。 神職さん方の復興のお祈りに参加させていただきました。
このお社 貴船さんとこの末社 牛一社
も~~~ ビックリしたやんか~~ (@ ̄Д ̄@;)
牛一社で なんで コノハナさんなんやろぅ?? Oo。。( ̄¬ ̄*)
貴船さんとこのサイトみても 梅宮社あるやん・・・
やのに・・・ なんで 牛一社にも コノハナさんなん?? ┐( ̄ヘ ̄)┌
で・・・ この御祭神は コノハナさんだけど・・・『古伝に 牛鬼』 と。。。
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牛鬼は貴船明神が 丑の年 丑の月 丑の日 丑の刻に 御降臨の際 お伴した神丑の刻参りは有名
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禁足地である 鏡岩 貴船山の中腹にある、太古の伝説を秘めた鏡岩。
太古の昔、貴船大神が丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻に、この鏡岩に天上から天降ってこられたとの伝説が残っていると・・・
キャァ~~ (*゚ー゚)ゞ 浪漫感じるわ~
けど。。。 丑の刻参りやろぅ・・・ (((( ;°Д°))))
wikipedia を見てみて またもや ビックリしてしまった。。。
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丑の刻(午前1時から午前3時ごろ)に神社の御神木に憎い相手に見立てた藁人形を毎夜五寸釘で打ち込むという、日本に古来伝わる呪術の一種である。
有名な神社としては、京都府の貴船神社や岡山県の育霊神社などがある。 古くは祈願成就のため、丑の刻に神仏に参拝することを言った。
陰陽師が使役する式神というものがあるが、式神は荒ぶる神としての妖怪としても描かれ、人の善悪を監視する役目を持っていたとされ、様々な不思議な力を発揮したと言われる。
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あぁぁぁぁ~~~~~っ この偶然 何かあるんやろか。。。(((゜д゜;)))
実は・・・ 私 貴船の御神水を 元気のないお友達にお届けしたの。
そのあと 一人でね 鎮魂のお祈りをしようと 夜参り。
夜参りと言ってもね。。。 21時半頃。 丑の刻参りやありまへんえ (θωθ)/~
私 なんで そう思ったンやろぅ 何故か 晴明神社さんへ行ったの
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丑の刻参りは古くからあるようで、鎌倉時代後期に書かれ、裏平家物語として知られる屋代本『平家物語』「剣之巻」に登場する。
「宇治の橋姫」と呼ばれる女性が、現在伝わる丑の刻参りと似た方法で、怨みをはらすため鬼になりたいと願をかけ、願いを成就させている。
この時に宇治の橋姫が丑の刻参りを行ったのが、当時、心願成就・呪咀神信仰で有名であった貴船神社である。
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次に 宇治の橋姫についてwikipedia を見てみる。
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宇治の橋姫(うじのはしひめ)は、京都府宇治川の宇治橋で祀られる橋姫。
多様な伝承と側面を持ち、主なものに源綱(渡辺綱)が一条戻り橋で遭遇し斬った「嫉妬の鬼」、宇治橋そばの橋姫神社に祭られている「橋の守り神」、の2つがある。
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あれぇ~~~ あの戻橋にいるの式神ちゃうのん??ヘ(・o・Ξ・o・)ヘ
あれは 橋姫か??
- - - - -
嵯峨天皇の御世(809年-825年)、とある公卿の娘が深い妬みにとらわれ、貴船神社に7日間籠って「貴船大明神よ、私を生きながら鬼神に変えて下さい。妬ましい女を取り殺したいのです」と祈った。明神は哀れに思い「本当に鬼になりたければ、姿を変えて宇治川に21日間浸れ」と告げた。
そのようにして宇治川に21日間浸ると、貴船大明神の言ったとおり生きながら鬼になった。これが「宇治の橋姫」である。
源頼光の四天王の1人源綱が一条大宮に遣わされた。夜は(橋姫のせいで)危険なので、名刀「鬚切(ひげきり)」を預かり、馬で向かった。
その帰り道、一条堀川の戻橋を渡る時、女性を見つけた。見たところ20歳余で、肌は雪のように白く、紅梅柄の打衣を着て、お経を持って、一人で南へ向かっていた。
綱は「夜は危ないので、五条まで送りましょう」と言って、自分は馬から降りて女を乗せ、堀川東岸を南に向かった。正親町の近くで女が「実は家は都の外なのですが、送って下さらないでしょうか」と頼んだので、綱は「分かりました。お送りします」と答えた。
すると女は鬼の姿に変わり、「愛宕山へ行きましょう」と言って綱の髪をつかんで北西へ飛び立った。綱はあわてず、鬚切で鬼の腕を断ち斬った。
綱は北野の社に落ち、鬼は手を斬られたまま愛宕へ飛んでいった。綱が髪をつかんでいた鬼の腕を手に取って見ると、雪のように白かったはずが真っ黒で、銀の針を立てたように白い毛がびっしり生えていた。
鬼の腕を頼光に見せると頼光は大いに驚き、安倍晴明を呼んでどうすればいいか問うた。晴明が「綱は7日間休暇を取って謹慎して下さい。鬼の腕は私が仁王経を読んで封印します」と言ったので、その通りにさせた。
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北野の杜って・・・ 天神さんとこちゃうやろなぁ。。。 ( ゜∋゜)
私は ただただ 晴明さんとこで 鎮魂のお参りをしただけやで~
門閉まってたから 外からね。。。
修験道の九字切りを晴明さんとこで みてもらおうと思ったけど。。。
教わってから あんまりせーへんから うまいことでけへんかったんやわっ
太礼道の天地繋がる作法もみてもらったんよナァ~
と勝手に思ってますネン (●´ω`●)ゞ
今度ね。。。一条戻り橋 行ってみよ~~っと。
3月11日 仕事が休み 朝からどこに出かけようかと 考える。
私の人生の指針 太礼道
師や有志で4月に天香山で 宴を開催するとのこと。
先輩である 沙羅葉さんが 記事を書いています。
- - - - -
「天香具山 万葉の宴」
日時 2014年4月13日(日曜日)
11時から17時あたりまで。
場所 天香山神社境内
主催 「天香具山 万葉の宴」実行の会
内容 舞と音の奉納 太礼神楽を中心とした舞と音の演奏)
- - - - -
私は まだピンとこなくって 天香山について 調べてみる。
jetさんの 保久良神社とカタカムナ の記事を読みました。
『椎根津彦命』さんが ビビビ~~~~ッ と
きた~~~~ ( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚
Wikipediaによると・・・
- - - - -
椎根津彦(しいねつひこ、『日本書紀』)、槁根津彦(さおねつひこ、『古事記』)、または珍彦(うずひこ)は、記紀に登場する国つ神。神武東征において登場する。倭国造(倭直部)の祖。
- - - - -
あれ~~???って 今まで見過ごしてきてました。
『 珍彦 』 『 神武東征 』 に 『 倭国造 』
よくよく調べてみると・・・籠神社さんに たどりつく。
真名井のお社にはたびたびお参りさせていただくけど 籠神社には 寄らないことが多いンです。
私の師 東伯先生から 和女布(わみょう)という伎号を 真名井の磐座さんの前で授かりました。
丹後は 太礼道にとって 聖地のひとつ。
サイトによると・・・
- - - - -
籠神社さんの神さまは 亦名 天火明命・天照御魂神・天照国照彦火明命・饒速日命、 又極秘伝に依れば、同命は山城の賀茂別雷神と異名同神であり、その御祖の大神(下 鴨)も併せ祭られているとも伝えられる。
- - - - -
↑ サラ~~っと 書いてるこの一文にも ビックリ ( ̄□ ̄;)!!
- - - - -
又別の古伝に依れば、十種神宝を將来された天照国照彦天火明櫛玉饒速日命であると云い、又彦火火出見命の御弟火明命と云い、更に又大汝命の御子であると云い、一に丹波道主王とも云う。
- - - - -
↑ 丹波道主とホアカリが同じなの ?? Σ(゚д゚;)
私 頭が こんがらがってます。(°Д°;≡°Д°;)
- - - - -
倭宿禰命 海部宮司家の四代目の祖で神武天皇が御東遷の途次、明石海峡に亀にのって現れ、天皇を大和の国へ先導したといわれ、さらに、大和建国の功労者として倭宿禰の称号を賜った。
- - - - -
↑ シイネツヒコさんって ヤマトスクネさんですか ?? m(u_u)m
wikipediaによると・・・
- - - - -
倭国造(やまとのくにのみやつこ・やまとこくぞう)は倭国中央部を支配した国造。大倭国造とも。後には大和国中央部を支配し、大和国造を称した。
- - - - -
氏神は 大和坐大国魂神社つまり、大和神社。あるいは、大和大国魂神社。
- - - - -
シイツネヒコさんで 『 丹波 』と 『 天香山 』 が繋がりました。
大和神社は 私にとっての大和国三社参りのひとつ。
奈良に住んでいたときは しょっちゅう お参りさせていただいてました。
で・・・・どこに行こうと 思ったときに この大和神社さんのたかおおかみの社を 想いました。
- - - - -
当社は古く、大倭神社注進状にも記載され丹生川上神社上社の本社でもある
- - - - -
と今 記事を書いてますが その情報の不確かだった私は 丹生川上神社の中社さんを思いました。
こちら シイネツヒコさんと天香山とも繋がってるんよネェ~
で・・・ 私は こちらの本殿に奉納されている 『白馬と黒馬の絵』を想いました。
で・・・ 私は 貴船神社を想いました。
3月11日の朝にアップしていたFACEBOOK貴船神社の記事を見つけました。
- - - - -
東日本大震災追悼式」
あの日から、早くも3年が経ちました。今もなお、非常に厳しい被災地の状況と、被災された方々の壮絶な苦しみは計り知れません。
貴船神社公式Twitterアカウントでは度々お伝えしておりますが、貴船神社では毎日の御日供祭(おにっくさい)にて、欠かすことなく復興の祈りを捧げています。
本日は震災発生の時刻に合わせ、本宮境内(龍船閣)にて追悼式を行います。
齋行時間は14:30頃から14:50頃までです。この時間帯にご参拝予定の皆さまは、神職・巫女に合わせて、ご一緒に拝礼いただきますよう、よろしくお願いいたします。
- - - - -
で・・・ こちらに参加させていただこうと思い 行ってきました。 о(ж>▽<)y ☆
午前中 どこ行こう どこ行こう (・_・ 三・_・) と 思ってましたが、こちらにたどりつきました。 ありがたいことです。
雪が残っておりましたが お陽さまがキラキラ輝き とてもスガスガしい。
この日 鎮魂・復興のお祈りをされた方が大勢いらっしゃったことでしょう。
お祈りが天地に皆に届きますよう。
私の人生の指針 太礼道
師や有志で4月に天香山で 宴を開催するとのこと。
先輩である 沙羅葉さんが 記事を書いています。
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「天香具山 万葉の宴」
日時 2014年4月13日(日曜日)
11時から17時あたりまで。
場所 天香山神社境内
主催 「天香具山 万葉の宴」実行の会
内容 舞と音の奉納 太礼神楽を中心とした舞と音の演奏)
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私は まだピンとこなくって 天香山について 調べてみる。
jetさんの 保久良神社とカタカムナ の記事を読みました。
『椎根津彦命』さんが ビビビ~~~~ッ と
きた~~~~ ( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚
Wikipediaによると・・・
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椎根津彦(しいねつひこ、『日本書紀』)、槁根津彦(さおねつひこ、『古事記』)、または珍彦(うずひこ)は、記紀に登場する国つ神。神武東征において登場する。倭国造(倭直部)の祖。
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あれ~~???って 今まで見過ごしてきてました。
『 珍彦 』 『 神武東征 』 に 『 倭国造 』
よくよく調べてみると・・・籠神社さんに たどりつく。
真名井のお社にはたびたびお参りさせていただくけど 籠神社には 寄らないことが多いンです。
私の師 東伯先生から 和女布(わみょう)という伎号を 真名井の磐座さんの前で授かりました。
丹後は 太礼道にとって 聖地のひとつ。
サイトによると・・・
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籠神社さんの神さまは 亦名 天火明命・天照御魂神・天照国照彦火明命・饒速日命、 又極秘伝に依れば、同命は山城の賀茂別雷神と異名同神であり、その御祖の大神(下 鴨)も併せ祭られているとも伝えられる。
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↑ サラ~~っと 書いてるこの一文にも ビックリ ( ̄□ ̄;)!!
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又別の古伝に依れば、十種神宝を將来された天照国照彦天火明櫛玉饒速日命であると云い、又彦火火出見命の御弟火明命と云い、更に又大汝命の御子であると云い、一に丹波道主王とも云う。
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↑ 丹波道主とホアカリが同じなの ?? Σ(゚д゚;)
私 頭が こんがらがってます。(°Д°;≡°Д°;)
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倭宿禰命 海部宮司家の四代目の祖で神武天皇が御東遷の途次、明石海峡に亀にのって現れ、天皇を大和の国へ先導したといわれ、さらに、大和建国の功労者として倭宿禰の称号を賜った。
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↑ シイネツヒコさんって ヤマトスクネさんですか ?? m(u_u)m
wikipediaによると・・・
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倭国造(やまとのくにのみやつこ・やまとこくぞう)は倭国中央部を支配した国造。大倭国造とも。後には大和国中央部を支配し、大和国造を称した。
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氏神は 大和坐大国魂神社つまり、大和神社。あるいは、大和大国魂神社。
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シイツネヒコさんで 『 丹波 』と 『 天香山 』 が繋がりました。
大和神社は 私にとっての大和国三社参りのひとつ。
奈良に住んでいたときは しょっちゅう お参りさせていただいてました。
で・・・・どこに行こうと 思ったときに この大和神社さんのたかおおかみの社を 想いました。
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当社は古く、大倭神社注進状にも記載され丹生川上神社上社の本社でもある
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と今 記事を書いてますが その情報の不確かだった私は 丹生川上神社の中社さんを思いました。
こちら シイネツヒコさんと天香山とも繋がってるんよネェ~
で・・・ 私は こちらの本殿に奉納されている 『白馬と黒馬の絵』を想いました。
で・・・ 私は 貴船神社を想いました。
3月11日の朝にアップしていたFACEBOOK貴船神社の記事を見つけました。
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東日本大震災追悼式」
あの日から、早くも3年が経ちました。今もなお、非常に厳しい被災地の状況と、被災された方々の壮絶な苦しみは計り知れません。
貴船神社公式Twitterアカウントでは度々お伝えしておりますが、貴船神社では毎日の御日供祭(おにっくさい)にて、欠かすことなく復興の祈りを捧げています。
本日は震災発生の時刻に合わせ、本宮境内(龍船閣)にて追悼式を行います。
齋行時間は14:30頃から14:50頃までです。この時間帯にご参拝予定の皆さまは、神職・巫女に合わせて、ご一緒に拝礼いただきますよう、よろしくお願いいたします。
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で・・・ こちらに参加させていただこうと思い 行ってきました。 о(ж>▽<)y ☆
午前中 どこ行こう どこ行こう (・_・ 三・_・) と 思ってましたが、こちらにたどりつきました。 ありがたいことです。
雪が残っておりましたが お陽さまがキラキラ輝き とてもスガスガしい。
この日 鎮魂・復興のお祈りをされた方が大勢いらっしゃったことでしょう。
お祈りが天地に皆に届きますよう。














