まっつんでございます

 

さてさて、今回は記念すべき第1回目の記事です。

 

ということで、まずはこのブログを書いてる私「まっつん」は何者で、このブログがどういったものか、という説明をご挨拶も兼ねて書いてみようと思います。

 

ということで、改めましてこんにちは(おはようございます、こんばんは)。

まっつんと申します。

 

私まっつんは、生まれも育ちも島根県、一時期お隣鳥取県で働いていた時期もあるけれど、山陰から住まいを移したことはない、という根からの田舎者です。

現在はある地元企業でサラリーマンをやっている中年オヤジです。

 

  まっつん、歴史好きになる

 

そんな私ですが、歴史が大好きです。

両親が読書が好きだったので小さい頃から図書館に連れて行ってもらっていたのですが、当時はそんなに読書が好きになれず、一応本を借りてみるものの、読まずに返す、ということを繰り返しておりました。

しかし、小学校の図書室でいわゆる「学習漫画」を見つけ、これなら読めると読み漁るようになったのですが、その漫画というのが、学研かどこかの「日本の歴史」シリーズで、これにハマってシリーズ全巻を読破したのが、歴史好きになったきっかけでしょう。

 

  信長の野望!

 

その後、KOEIの「信長の野望・全国版」という歴史シミュレーションゲームを友人が手に入れ、友人宅で一緒にプレイして、そのゲームにもハマります(このシリーズは現在も続編が作られている人気シリーズですね)。

 

このとき、私は地元島根県(出雲国)の大名をチョイスすべきだと、尼子晴久を選ぼうとしましたが…これがまたひどい顔グラフィックスで、時代劇に出てくる悪い庄屋さんみたいな。

いや、顔で戦うわけじゃないんですけど、あんまりひどいもんで、尼子を選ぶ気にはなれず、他の大名を選んでプレイしていた記憶があります。

 

その後、続編の「信長の野望・戦国群雄伝」では、尼子晴久はややマシなビジュアルになったので、これをチョイスして全国制覇を目指したモノです。

そして重要なのが、「全国版」は大名しかいないけれど、この「戦国群雄伝」では部下の武将が登場したこと。そして尼子晴久の部下に、「山中鹿介(このゲームでは“鹿之助“」が登場したことです。

 

この「戦国群雄伝」での尼子家の所属武将たちは、お世辞にも優秀な人物がおらず、みな昼行灯みたいな奴ばっかりだったんですが、ひとり山中鹿介のみ、知勇兼備のとんでもなく優秀な武将でした。

これで、一気に「この人物は一体何者だ!?」と興味が湧いたわけです。

 

  山中鹿介

 

地元・島根県の武将なので、ちょっと調べてみただけで山中鹿介がどんな人物か、おおよそ知ることができました。

詳しくはこれから記事にしていくことにしますが、簡単に言えば、「滅亡した主家・尼子家を再興すべく、宿敵毛利氏相手に奮闘した武将」です。

 

寝返りが当たり前の戦国乱世にあって、愚直に尼子再興に尽くした忠義の将!

なんとカッコイイじゃないですか!!

ところが、こんなすげー人物なのに、どうやら全国区の知名度はそこまででもない。

ここは鹿介を全国区の人物として宣伝しなきゃならん!

なんて、小学校から中学校くらいまでは、けっこう本気で考えていたのです。

 

しかしながら当時の自分にできたのは、夏休みの自由研究で壁新聞を作る程度。まぁ、それなりの評価はしてもらったのだけど、それだけです。

 

  山中鹿介を大河ドラマに!

 

そして現在。

インターネットが普及して久しく、誰でも自由に情報発信することができるようになりました。

 

サラリーマンとして日々を過ごす中、ふとかつての思いを振り返り、今ならもう少し色々できるんじゃないか、などと考えた次第。

そこで、山中鹿介を全国区にするべく、このブログを立ち上げたわけです。

 

まぁ、しがないオヤジがひとりブログで色々記事を書いたところで全国に響くことはないんでしょうが。

それでも目標は大きく、「鹿介を大河ドラマに」といきましょう!

ホントに実現したら痛快ですよねー!

いや、もちろんホントに鹿介が大河になったとしても、このブログのおかげというわけではないんでしょうけども(笑)

 

そういうわけで、これから山中鹿介と、その主家・尼子氏のお話を中心に、いろいろ記事を上げていきたいと思います。

暇つぶしにでも読んでいただければ、幸いに存じます。