話し合いしたのが4月あたり。

あれから…進んだようで進んで無いようで進んでいるのかな。



人間は変わらない。



これはもう本質。



そんな彼とどう生きるかを探すことが私の課題。



そして私も本質は変わらない。


そんな私とどう生きるかを探すのは彼の課題。



夫婦も子育ても…同じだと思った。



私は、私の思い通りにしようとしていたから子育てが大変だった。



今までの恋愛も結婚生活もそう。


元彼や“旦那達”を変えようとしていたから上手く行かなかった。



全ては…私なんだということ。



世の中に愚痴も不満もあるよ。



それは皆価値観が違うから。



そちらの目線になれば仕方のないこともあるし、私の目線になればわかってくれることもある。



けど、ともすれば…自分の目線の一人称からしか見れない人もいる。



それに腹を立てて直させようとしても…子供も大人も変わらない。



変わるときは、自分が「気づいた」時だから。



そして諦めと受け止めは違うってこと。



旦那に対してこれは考えが違うなぁと思う事はあっても否定はしない。



そういう意見もあるけど私はしないということを伝えていくだけ。



ガンとして私は正しい!!なんて相手に押し付けるのは…悲しい出来事だ。



自分がされたら悲しいからだ。



自分がされたら嬉しいことも相手には嬉しくないかもしれないし、ここは難しいから決めつけてはならない。



だからこそわかるでしょ?ではなくてコミニケーションをしないと続かないのだ。



子育ても夫婦も。




子供だろうが人間である。

私が育てた人間だから私のコピーなのだ。

教えたのに伝わってないのかと悲しいときもあるけど、それはまだ時期ではないのだ。



私達親は道案内人だから伝えたら待つしかできない。

見守ることしかできない。



危なかったら声はかける。




夫婦も同じ。



嫌なものは嫌。

賛成は賛成。

私はそれを好きじゃないけどあなたが良いなら良い。

あなたはこれを好きじゃないけど私は好きだから良い。



歩み寄る事は大事なことだ。



わかってもらうとかどうして理解してくれないとかは…若い時はたくさん思ったけど笑

メンヘラだから笑




話せば伝わると思っていた。



今は…私はなんていうか…伝わらなきゃ伝わらないでいいと思う。




その中で2人が了承できるもので手を打てれば良い。



昔の私は何に固執していたのか。



そしてなぜこのステージに来たのか。



私は病んでから急激に二段階くらい上のステージへステップアップできた気がする。




俯瞰して、見れるようになったのだ。



苛つくこともモチロンあるしまだまだ未熟だけど、やっと自分を受け入れて認めるようになれたとおもう。



私はいらない人間だと思って生きてきた。



今はそこまで思っていない笑



どうせ死ぬのなら、人の顔色なんか伺ってたまるか。w



好かれようとも思わない。



私は私のやるべきことをやれば良いのだ。



と思いつつ、最近買ったヘルメットで店員さんの対応が悲しいことがあった。



それを見て私はしないように反面教師になるだけだが。



そういう人は、気づけない。



伝えてもきっと伝わらない。



私たち夫婦は、少しずつ進んでる。



変わらないままで進む。

すばらしいことだと思う。



全然変わらないわけじゃない。

伝えたあとには何か変化はあるから。




変化は続かないけど、気づいたら嬉しくおもう。



そしてその変化は、常になる時が来る。



変わってないけど変わる時。



マザー・テレサによる次の有名な言葉がある。

 思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

 言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。 

習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。



運命になるように良い言葉を選びたい。




とりあえずは少しずつ構築している記録。



なんか真面目になっちゃった。