東京の新宿区で運営しているシェアリングバイク(電動自転車)の設置場所です。

一部の人々の中でモノを持たない時代が始まっているのかもしれません。貧困ゆえで無く、シンプルスッキリな生き方を目指す人々が増えてきている気がします。

コトの中でのメッセージを重要視する。

たとえば、買い物でもマイバックを持ち込む意識の高さや、環境を考えた商品を購入する。

そのような行為がステイタスとなっている。


日本語だと使い廻し?共同使用?を、シェアリングと云うと一気に品位を感じるのはなぜか。

また、豊かな環境は独占欲と消費を減退させるのかもしれません。

まあ、100年~200年のスパンで考えれば、土地であれなんであれ所有とはいえいつか手放すわけですから、シェアリングしているようなモノでしょう。

今後、現状の豊かさが続くのであればシェアリングはセコイのでは無く、高尚な行為に変身するでしょう。