「死んでもいい」
「ヒカリ、そんなこと言うな。絶対に言うな」
ウェットな場面。
ヒカリを庇護するカズキ。別れの場にサイケとタケオは立ち会わず、最後の言葉をカズキに言わせる。執着を断ち切らないと共倒れになる。
ヒカリの悲しみと怒りが諦めに変わるまで、カズキは待つ。車の中の2人もまた、1分1秒を争う状況にありながら、黙ってじっと待っている。
搾取と命懸けで戦っている彼らが、ギリギリの場面でヒカリに時間を譲歩する。奪わず、与える側にいる。すごい愛情表現だなと思いながら、
でも、泥の中に咲くハスの花みたいな性善説では腑に落ちない気持ちもありました。
もう少し知りたくなって、原作の鈴木大介さん著書「家のない少年たち」(2011)を読みました。
本の少年たちは、ドライでした。
感情を爆発させるときもある。でも、戦いに向かうときの彼らには迷いがない。死なないのはこっちだと瞬時に選び取り、次のことを考える。
この場面で彼らがヒカリに時間を譲歩するなら、結果的にそのほうが早く終わるからとか、理性的な判断かもしれない。
いろんな切り口があると思います。
阿佐田哲也のように、勝負師の生きざまに焦点を当てる。
ドストエフスキーのように、社会が悪いとしか言えないところまで綿密に突き固めていく。
ジョージ秋山のように、強烈なイメージで描く。
鈴木大介さんの切り口は、愛だと思いました。少年たち自身に興味を持ち、彼らを知りたいと思い、愛おしく思う。彼らに代わって憤る。
俊敏に動くためにドライになる彼らと、彼らのそぎ落としたウェットな部分を丹念に拾う鈴木大介さんとを合わせた姿が、映画の3人に見えてきました。
背中に重い重い十字架を背負って、死んでも構わないような扱いを受けてきたカズキが、「死んでもいい」と言い放つヒカリに「そんなこと言うな。ぜっったいに言うな」と強く言い聞かせる。
これは本来、カズキのセリフではないように思います。私たち大人の社会が責任を持ってヒカリに言わなければならないことを、カズキに言ってもらっている。
加藤諒さんのカズキは、鈴木大介さんでもあると思いました。優しく温かく愛に満ちたカズキは、加藤諒さんご自身にも通じる気がします。
映画『ギャングース』公開初日にむけ|鈴木大介(文筆業/配慮さん)|note
鈴木 大介 | 著者ページ | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準 (toyokeizai.net)
鈴木 大介 DAISUKE SUZUKI | 現代ビジネス (ismedia.jp)