ガンプラ ギルビジョン

ガンプラ ギルビジョン

ガンプラのブログです(^^)

自分の作ったガンプラを紹介して、そのモビルスーツに対する僕の思いを、自分勝手な『ギルビジョン』を通してつづります(^_^;

気軽な気持ちで、眺めていただけたら、幸いに思います(^^)

ポルシェ956



1982年、新たなグループC規定にのっとって開発された 


 「ポルシェ956」


 登場するやいなや、
1985年まで4連勝してしまいました。 

 車両規定の変更に素早く対処して投入された、
ターボのグループCカー。 



 ル・マン24時間レースにおいて、

 1974年に初めてターボ・パワーを持ち込み
ポルシェカレラRSRターボ 

で総合2位を獲得 

ポルシェ カレラ RSRターボ(フジミ1/24)



 1976年には 

ポルシェ936ターボ 

で初めて総合優勝を飾ったポルシェは、
以後もターボの性能を磨き上げていきました。

ポルシェ936ターボ(タミヤ1/24)



 ポルシェの市販ロードカーとして初めてターボ・エンジンを搭載した 

ポルシェ930ターボ 

ポルシェ930ターボ76(フジミ1/24)


これをベースに


 ポルシェ・ワークスはGr.4の 

ポルシェ934ターボRSR 

ポルシェ934ターボ タイプRSR(タミヤ1/24)


 Gr.5の
ポルシェ935ターボ

ポルシェ935ターボ76(スタジオ27 1/24)

ポルシェ935ターボ76(タミヤ1/24)

ポルシェ935ターボ76(スタジオ27 1/24)

ポルシェ935ターボ77(マルイ 1/24)

ポルシェ935ターボ78(タミヤ1/24)


さらにGr.6の
ポルシェ936ターボ

ポルシェ936ターボ(タミヤ1/24)

を開発。

935と936で、ル・マン24時間において1976年から1981年までの6年間に4勝をあげ、
ポルシェのターボ・エンジンのパフォーマンスを十分すぎるほどにアピールすることになりました。

そして車両規定が一新される1982年。

それまでグループ1(Gr.1)からGr.8(時代によってGr.1からGr.9)に分類されていた競技車両を、
1982年からはGr.AからGr.E、およびGr.Nの6カテゴリーに分類するように変更されました。


大まかに言うならGr.1とGr.2がGr.Aのツーリングカーに、
Gr.3とGr.4がGr.BのGTカーに。
そしてGr.5とGr.6がGr.Cの2座席レーシングカーに分類されることになったのです。

ポルシェは新たにグループCの
ポルシェ956
を開発することになるのですが、


これに先立って1981年のル・マン24時間では1976年から1977年にかけて2連覇していた936をベースに、ターボで武装した2.65Lフラット6を搭載して実戦テストを実施。
見事総合優勝を飾っています。

ポルシェ936ターボ81。
1981年ル・マン優勝マシン。

このエンジンは
インディカー・レース用に開発されていた2.65Lエンジンを耐久レース向けに仕様変更したもので、

翌年から始まるグループCによる世界選手権に向けて投入が決められていたようです。


その一方でシャシーに関しても大きなチャレンジ(技術革新)がありました。


ポルシェのレーシングカーはそれまで、シャシーに鋼管スペースフレームを採用してきましたが、

936の鋼管スペースフレームのシャーシー。
分かりやすく言うと「鳥かご」風。



新たに開発する956では初めて、モノコックフレームを採用することになったのです。

956のモノコックシャーシー。
分かりやすく言うと「バスタブ」風。



ポルシェ956
のデビュー戦は1982年のル・マン24時間でした。

予選から、956のパフォーマンスが炸裂します。
ジャッキー・イクス/デレック・ベル組の#1号車がポールポジションを奪い、
僚友ヨッヘン・マス/バーン・シュパン組の#2号車がこれに続いてフロントローを独占したのです。

ポルシェが欠場した
シリーズ第2戦のシルバーストンと第3戦のニュルブルクリンクを連覇し、

ポルシェ956にとって最大のライバルと目されていたランチアLC1は、


↑ランチアLC1。ランチアが満を持して投入してきたグループCマシン。
エンジンは、ランチア・ストラトスターボの後継マシン、ランチア・ベータモンテカルロターボのエンジンを搭載!



プライベートのポルシェ「936C」(チーム・ヨーストが936をベースにクローズドクーペにしたコンバートGr.C)を挟んで
予選4位、5位に。
決勝レースでの激戦が期待されました。

しかしレース序盤こそ独伊のワークス対決は盛り上がりましたが、

ライバルのランチアがトラブルに見舞われると、
あとはもうポルシェ956の独演会。


#1号車イクス組のトップが安定し、
そこに#2号車マス組が続き、
予選3位を奪ったヨースト#4号車ボブ・ウォレク組の936Cを挟んで


↑ヨーストポルシェ936C。
ポルシェ936のクローズドボディタイプ。
プライベーターから参戦したマシン。

ワークスの3台目、
#3号車のユルゲン・バルト/ハーレイ・ヘイウッド/アル・ホルバート組956が続く大勢で終盤を迎えることになりました。

これでレースは決したかに思われたのですが、
まだ最後のドラマが残っていました。
大詰めに来て

ヨーストポルシェ936C#4号車にエンジン・トラブルが発生し後退。
これで#3号車が3位に進出し、
ポルシェ・ワークスはトップ3を独占、
ゼッケン順に並びながら、
まるでエキシビションラップのような周回を重ねることになったのです。

そして!


ジャッキー・イクス組の#1号車がチャンピオン!


#1号車。1982年の、ル・マン優勝マシン


956の活躍はデビューレースのル・マン24時間に留まることはありませんでした。
1982年シーズンのWECの全8戦中序盤の3戦と第6戦のムジェロを除く4戦に出場し、負けなしの4勝を挙げてイクスがチャンピオンに輝くとともにメイクスタイトルも獲得しています。

ポルシェ・ワークスの圧倒的な速さと強さを見せつけられたライバル・メーカーは
シリーズからの撤退を決断することになりましたが、
ポルシェはワークスマシンをベースにカスタマー仕様の956を製作し
翌1983年シーズンに向けて販売することを決定。

これで1983年シーズンのWECは、
1982年シーズン以上に盛り上がることになりました。
シリーズでは956が7戦7勝し、うち1勝はカスタマーのヨーストがマーク。

ル・マンでもポルシェワークスが1-2フィニッシュ、3位にカスタマーのクレマーが入って表彰台を独占しています。


↑ポルシェ956 1983ワークスマシン。
1983ル・マン優勝した#3号車。



続く1984年シーズンも956がWECで11戦中10勝。



ル・マンはヨーストのニューマンポルシェ956が優勝。これもタミヤからモデル化されました。




続く1985年シーズンには956の発展モデルの「962C」がデビュー。


↑ポルシェ962C。
956との外観上の違いは、フロントノーズが短くなった事と、リアウイングが高くなった事。


962はIMSAの規定に合わせてドライバーのフットボックスの安全性を確保するためにペダル位置がフロントアクスルより後方になるようホイールベースを延長(フロントホイールを前進)させたもので、他のメカニズムは956のそれをそのまま踏襲していました。

最新にして最強最速、そして最も安全なGr.Cマシンへと進化してゆきました。



まさしく

時代に大きな足跡を残した

ポルシェの偉大なマシンでありました!




……




今回制作したプラモデルは


かつてタミヤ模型から発売されていた

ポルシェ956の1/24のキットです。


発売されたのは、

1983年に優勝した#3号車がモデル化されたのですが





圧倒的な強さを誇ったデビュー年の仕様にしたかったので

そちらの別売りデカールを購入して

制作しました(^_^)













スポンサーマークは、今は亡きタバコメーカー「ロスマンズ」。

ロスマンズカラーは、ポルシェでは
マルティーニカラーに次いで
かっこいい、と個人的にはおもっています(^_^)


エンジン



モノコックシャーシーも再現!

















説明書通りに組み立てれば、部品がピタッ!!とハマるのは、
さすが「王者タミヤ」の風格\(^^)/!

古いキットながら、
素晴らしいキットです(^_^)!!


まさに
ポルシェの1時代を築いたマシンにふさわしいキットだとおもいます(^_^)!