まだ脳裏に焼き付いている東日本大震災。


 深夜勤務の日だったので自宅で寝ている時に襲ってきた激しい揺れは経験したことのないもので、すぐにテレビをつけると間もなく目を覆いたくなるような津波の映像が流れました。


 今年はテレビを見ていてもどこか違う…。

 昨日までで言えばコロナウイルスがメディアを占領しているかのように決して風化させてはならない震災や東京大空襲のことをほとんどやらない気がします。

 確かにいま喫緊の課題としてこの新型ウイルスのことは取り上げる必要は認めるものの、風化させてはならないことが忘れられているような気さえしてきます。



 JR東日本E657系特急「ひたち」。福島県いわき駅にて。
 あの震災による津波被害と原発事故により福島県北部で長く不通となっていた常磐線が3月14日に全線で復旧します。そして「ひたち」の仙台駅までの直通運転が復活します。
 国鉄時代に80系気動車により始まった特急「ひたち」の運転はその後485系電車となり、一部列車が上野~仙台間を結び、国鉄分割民営化まもなくJR東日本初の新型特急車両となる651系により「スーパーひたち」として国鉄時代と変わらず上野~勝田・平(現いわき)・相馬・原ノ町・仙台間で運転されていました。
 のちにモノクラス編成のE653系も導入されて、こちらは停車駅の多い「フレッシュひたち」として運転されました。
 そして651系・E653系に代わる新型車両E657系がデビューした矢先にあの震災に見舞われました。
 現在は、いわき駅にて折り返す「ひたち」

 震災発生前にはE653系は常磐線北部のいわき~仙台間の地域間特急に転用されるとの噂もありましたが、震災による不通区間の発生などもあって頓挫したのか、こちらは新潟地区で485系で運転されていた羽越本線の特急「いなほ」や信越・北陸本線の特急「北越」が北陸新幹線開業により廃止されたことから誕生した新潟県上越地方と下越地方を結ぶ信越本線の特急「しらゆき」へと転用、651系は東日本各地に疎開したのちに高崎線の特急「草津」「スワローあかぎ」へと転用されました。

 E657系に統一された「スーパーひたち」「フレッシュひたち」でしたが、その後それぞれ「ひたち」「ときわ」へと列車名が改められました。

「スーパーひたち」を名乗っていた頃の画像。上野駅にて。

「ときわ」の愛称は国鉄時代に常磐線を走っていた急行列車のもの。長いお蔵入りを経て特急列車として復活を遂げましたが、停車駅はかつての急行列車並みの多さです。
 国鉄時代、毎時ジャスト発として上野駅を発車する時に日暮里駅までの間を東北本線の特急「ひばり」と、東北新幹線開業後は信越本線の特急「あさま」「白山」との並走を見せていた「ひたち」
 震災により仙台までの直通運転が途絶えていた間に上野東京ライン開業で多くの列車が東京駅を通って品川駅まで乗り入れるようになりました。
 震災からの復興はまだ道半ばといったところではあるものの、福島県浜通りの早期復興を担う役目を務めてもらいたいものです。 




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